“女の子には無意味でいる自由がある”と書かれた本

「娼婦の本棚」鈴木涼美(中公新書ラクレ)

書店で「娼婦の本棚」なる過激なタイトルの本がありました。鈴木涼美氏という方が書いた本なのですが、経歴がすごくてビックリしました。親は大学の教授、そして慶応大学在学中にAV女優として活躍、その後、東京大学大学院生、そして日本経済新聞記者から文筆業に転身という、過激かつ華麗で自由奔放な生きざまに、そんな方がいたんだと。

内容はその鈴木涼美氏が書いた読書論なんですが、最初の一冊がなんと「不思議の国のアリス」なのでした。アリス!目下、にわか?「不思議の国のアリス」フリークの私としては、どんなことが書かれているのかが気になったのです。

彼女を本を読みはじめて、頭の切れのよさを感じ、そして、女性としては過激というか自由というかをかなり大胆な生き方をしてきているというのが見えてきます。性産業に身を置き裸体や性行為をさらしながら、一方で、かなり難しい知的なハードルを越えていくその軽やかさ。慶応、東大、日経新聞なんて、並大抵ではない知力持ち主。その両極端なベクトルを行き来する自由な感性。いや、すごい女性だなと驚くしかないのです。

鈴木氏は、文学作品というものに対して正面から論じ、かつ、自身が経験体験した場所にいた周囲の環境、それは世間的にはドロップアウトしたとみられる人達も多くいたのだろうが、と重ね合わせていくで、体験的文学論と言ってもいい感じになっています。それはなかなか経験できないであろう環境に身を投じた彼女だから書くことができる独自の視点を持った、妙に説得力のあるものになっています。

思考や感情といったものは心の中で起こり時に肉体を縛ってしまうこともある。逆に、快感や痛みというのは肉体への外的な刺激によって起こるものなんですが、それは心を縛ってしまうことがある。鈴木氏は女性として、その両極端な橋を行き来したらからこそ、書けるものがある。それはどこか海外で居住したからこそ書けるその国の独自なことに近いのかもしれません。

その鈴木氏によるアリスは「それまで過剰なほど持っていた慎重さを徐々に見失い、思春期を迎える頃には、入らなくてもいいような世界に入って行ったり、落ちなくてもいい落とし穴に何度も落ちたり、しなくてもいい寄り道をして何かしら痛い目を見たりする」とヘンテコリンな不思議な国へとアリスが落ちていくこと自身の体験をあわせる。(「アリスの物語は、じわじわと夜の闇に堕ちていく私の、現在進行形で目撃している光景とどこか重なる気がしました。」

その通常の論理が全く通用しない不思議な国をアリスは、逞しく受け入れいなしてみせる。(「怯え続けたり、その世界をありえない!と一蹴したりせずに、ちょっと不可思議な気分を味わった後は、するりと受け止めてまた道を進みます。」)しかしこの世界は不条理に満ちた世界であり、鈴木氏はアリスの話は「荒唐無稽なこの世界を正面から描いているようにすら見える」とさえいいます。

さらに続けて「地上の世界は常識という論理でまわっているから、その常識から溢れる過剰には、そうである理由を求めてくるのです。」過剰な部分にその理由を求める、それは過剰であった鈴木氏に世間が質問攻めするということ。「本当は、無意味の自由こそ最も大切にするべきことだったはずなのに、大人はそれを自ら手放してしまうのです。」

「本当にやっかいなのは、意味や答えを用意しないと、こちらを無価値だと決めつけてくる昼の常識かもしれないのです。」鈴木氏のアリスと自身の経験を踏まえたいかにも体験的文学論というべきコメントだなと・・・。(※「」の部分「娼婦の本棚」鈴木涼美(中公新書ラクレ)から引用)

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