日本を代表する哲学者の「地獄の思想」と地獄 etc.ここは地獄の一丁目

日本を代表する哲学者・梅原猛の「地獄の思想」(中公新書)を読みました。1967年に書かれた有名な本、さすがに文体がちょっと古い感じがしましたが、内容はとても面白い! 梅原によると地獄というのは仏教的概念が一般に流布されたものですが、地獄というものについては、釈迦は触れていない。後世の弟子達が広めて行ったもの。

そもそもお経自体が、釈迦の没後500年くらい後に書かれたものなので、それを書いた弟子の考えも多少なり入っている。いくつもの経典が書かれたことにより、我こそは本来の釈迦の伝えたかったことを伝承していると流派が生まれた。

ある時、中国の僧侶がいくつもの経典について無理やり?釈迦のどの歳の時に言ったものかという時代順にお経を整理した。(それが本当に正しいのかは全くそうだとは言えないみたいですが)それを学んだ最澄が日本に持って返り、広めたのですが、地獄の概念はこの天台的なものからスタートしているようなのです。そして、最澄の弟子の源信「往生要集」において地獄の様子を書いたことが決定的になった。

地獄絵なるものは、源信の「往生要集」から始まるのです。

源信の「往生要集」地獄の文字がいくつか見ることができます。

ところで、梅原猛は地獄について後半は日本の文学を例に出しながら、地獄というものがどのように捉えられてきたのかを書いているのですが、これが中々読みごたえがあり、とても勉強になったのでした。「源氏物語」、「平家物語」、世阿弥、近松門左衛門、宮沢賢治、太宰治。これらを例にだして地獄の思想をみていくのですが、副題に「日本精神の一系譜」とあるように真正面から論じています。それがすこぶるおもしろいし心に響きました。さすが日本代表する哲学者、梅原猛と思いました。

梅原は日本思想に、生命の思想、心の思想、地獄の思想の三つが底流に流れていると仮説し、平安時代に中心であった宗派をあげ、神道と密教は生命の思想に、唯識は心の思想に、天台は地獄の思想に対応しているように思えると書いています。この梅原猛の「地獄の思想」という本、充実した中身のある読みごたえがあった素晴らしい本でした。

地獄絵ワンダーランド

手元に2017年に三井記念美術館で開催された「地獄絵ワンダーランド」展の図録があります。当時、それを観に行ったのですが、あらためて図録を見ていると、数々の地獄絵とそれの関連物があって六道輪廻の世界から抜け出し極楽往生、悪行なせば、現世よりむごく苦しい地獄の世界。初期の頃はリアルというか悲惨な地獄の様子が描かれていて、正しい行いをせねばという戒め的な要素があるのですが、時代を経てくるとそれらはだんだんユニークな絵になっていきます。漫画的・・・、地獄の登場人物たちはキャラ化しているのです。時代の変遷とともにユルくなっていくのです。ジャパン・アニメが世界を席巻していますが、漫画化、キャラ化、パロディ化というのは、潜在的に日本文化のひとつの特徴?なのかもしれませんね。漫画界の大御所、水木しげるの地獄めぐりもあって、妖怪を文化の域にまで高めた張本人。妖怪と地獄は親和性が高いと言えそうです。

地獄の閻魔
厳しい閻魔
だんだんユルく・・・
水木しげるの地獄

別府地獄めぐり、六道珍皇寺、恐山

地獄と言えば別府温泉の地獄めぐりがあります。しかしこちらは温泉によるもの、八大地獄(海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄、血の池地獄、竜巻地獄)を観光客はまわることになります。さらに温泉を活かして作られた温泉たまご、蒸し焼きプリン、 温泉に含まれたミネラルによる入浴剤に血の池軟膏まであり、楽しい地獄?なのです。

京都にはこの世とあの世をつなぐ境という六道の辻という冥界への入口があり、そこに位置するのが六道珍皇寺。六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道で、死後この六道を輪廻転生するという仏教の教えのこと。ここには不思議な伝説がある。小野篁という平安時代官僚です。閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説があるのです。そしてお寺には小野篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があります。

そして極め付きが恐山。こちら一度行ったことがあるのですが、こんな山奥にここまでの場所があったなと思わせるくらいインパクトがある場所でした。この恐山についてはこのブログの記事で書いていますので、こちらをご覧ください。⇒ ①行ってみてわかった、ここは特別な場所。恐山 ②1200年続く霊場・恐山は器であるということ

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