日本は平安から現代まで呪術に溢れているという話

「日本の呪術」繁田信一(MdN新書)

日本の呪術、それは「おまじない」と言い換えることもできる。この呪術は日本の歴史の中に脈々と受け継がれ実践されてきている。呪術という言葉をみるとと何かおどろおどろしいのですが、「あした、天気になぁれ」のてるてる坊主もその一種であれば、この呪術はその言葉の響きとは裏腹に、そこかしこに潜み当たり前のように浸透しているとも言えます。

この呪術について著者の繁田信一氏は、主に平安時代に活躍した陰陽師密教僧にスポットをあてて紹介しています。繁田しによれば、呪術は「大和朝廷の成立から数えただけでも千数百年にも及ぶ日本の歴史のほとんどの期間において、思いをかたちにする手段の一つであり、紛れもなく実用的な技術であった」ということになのです。

そのなかでも呪詛というのがあります。呪詛とは、他人の命を危うくするもので、平安時代中期にはその呪詛が蔓延していたというのです。特に政権が絡む権力構造において、妬みからくる呪詛は絶え間なくあったようですし、摂関時代において栄光を極めた「この世をば  わが世とぞ思ふ」が有名な教科書にも出てくる藤原道長など、呪詛を警戒しないで安穏としている日など、一日たりともなかっただろうと繁田氏は指摘します。

ところでこの呪術を仕掛ける陰陽師は安倍晴明に代表される陰陽寮の官職として徹底教育された陰陽師と民間というのか市井の法師陰陽師がいたそうです。呪詛は官職としての陰陽師は余程のことがないとしないので、もっぱら法師陰陽師が依頼を呪詛をかけていたようです。

その呪詛から呪詛祓いをしていたのが陰陽師。安倍晴明はじめとする陰陽師は、しっかりとした教育を受けているので、レベルも高く、簡易的に術をマスターした民間の法師陰陽師が仕掛けた呪詛は軽々と防御していたみたいです。これ優位の波動は劣位の波動を駆逐するといった印象を受けます。

それと平安時代に呪術を使っていたのが仏教における密教僧。あの空海も呪術で相手をやっけたと「今昔物語」に出てくるみたいです。

その密教僧において凄まじいのが比叡山天台宗呪術合戦。当時山門派と寺門派の2つに分かれており、どちらが主導権を握るか暴力事件や呪術合戦が頻発していたようで、こうなると仏門に身をおきながらやっていることは世間の派閥争いと同じということになってしまいます。今も昔も人という次元においては変わらない?

いずれにしても、陰陽師は式神を、密教僧は護法(護法童子)を、呪術において使いますが、その違いはというと使い手の職業といったところ。なので目には見えない呪術の力を実行するににおいて、その術をサポートする何らかの、同じく目には見えない存在、(もしかしたら波動的な何か?)があったというところでしょうか。

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