ボタンを掛け違うと恐ろしい展開に・・・清張の霧の旗

「霧の旗」松本清張

松本清張の「霧の旗」、この小説は不思議な感覚にさせられる作品。というのも強盗殺人の容疑で犯人とされた兄を無実と信じる妹・柳田桐子が著名な弁護士・大塚に弁護を依頼するものの断られたことからくる女の復讐の物語となっているのですが、弁護士の大塚から見ればほとんど“逆恨み”もいいところで、迷惑千万な話になっているからです。そのズレの感性が不可思議な感覚にさせられるということ。

大塚は日本でも指折りの有能な弁護士、冤罪を信じる桐子は、その彼に弁護を依頼するために夜行列車に乗って上京します。長旅で事務所に着いた桐子に対する大塚の対応がまずかったかというとそうでもありません。大塚からすれば突然の訪問であり、それを受けられない事情を丁寧に説明しています。寧ろ良心的な対応であったともいえます。あの時の対応がまずった、というのならまだわからないこともないのですが、何をしたわけでもなく、兄は死刑になりますと捨て台詞をはいて立ち去ります。それゆえに桐子のその後の行動は、全く理不尽な復讐劇と見えてくるのであります。

桐子という女性を見た場合、彼女は非常に思い込みの激しい一途な女であるということになってきます。兄の獄中死、冤罪であるという信念それらの怒りに近い感情が表にでることなく、あるいは犯人に向けられるわけでもなく、ただ弁護を断っただけの大塚という男に(=彼女にとって法的世界の象徴的な存在として見ている)ベクトルが向けられていくわけです。

それはある意味まともではない感性の持ち主と感じられてしまう。それはたとえば、殺人現場に遭遇しても冷静な判断で問題となるライターを拾い手袋を置き換えるといった偽装行為や、大塚が愛人を助けるために接触を謀ってきたときには自らの処女を捧げてしまうことにより、さらに負の負い目を与えて彼の息の根を止めてしまうという徹底ぶりからも見ることができます。もはや桐子は何かに憑依した女なのです。

文庫本の解説には桐子を通して法の限界、裁判制度の矛盾をえぐったといった風なことが書かれてありましたが、私にはなかなかそのように読むことができませんでした。寧ろ弁護士の大塚が陥ったブラックホールこそ、日常に潜む落とし穴なのではないか?良識的な対応でも相手によってはそうは受け取られない。その落とし穴を防ぎようがなかったことこそが、日常の恐怖として感じてくるのであります。

となると桐子という女性は、スティーブン・キングの「ミザリー」のようなサイコな女性に見えてくる。そうであれば説得など無駄で、目的を完遂しない限り収まらない…、ホラーの要素を多分に含んだ不思議な小説。それが印象でした。

映画「霧の旗」(1965年)

■製作年:1965年
■監督:山田洋次
■主演:倍賞千恵子、露口茂、滝沢修、新珠三千代、他

寅さんシリーズをはじめとする日本映画界を代表する山田洋次監督が、今から50年以上も前、松本清張モノを作っていたとは意外でありました。そして主人公の桐子を演じるのが倍賞千恵子、これまたびっくりで、この映画が製作されたのが1965年、「男はつらいよ」が公開されたのが1969年であるということは、山田監督は人情ものではなく社会派ミステリーなんかも撮っていたということ、そして監督と倍賞千恵子のコンビは依頼ずっと続いているとても長い関係なんだなということです。気心しれたスタッフや俳優といい仕事をするということを山田監督がどこかで発言していたことを記憶しているのですが、その姿勢がそこからもうかがえるような気がします。

さて、原作に登場する桐子という女は弁護の依頼を断った弁護士に逆恨みし自らも犯罪を偽装していくことになる特異でサイコな女性というのが私の解釈なのですが、倍賞千恵子はその役をうまく演じていたように思いました。胸に何を秘めているのかがよくわからない、思い詰め感情を表に出さない、ひょうひょうとした感じ、彼女がそうした役にこんなに合っているとは思いもよりませんでした。時折見せる幼さも、桐子が実は無理をして復讐のため行動を起こしている感じがして、それがリアリティというか深みを与えたのであります。

一方、桐子に相対することになる大塚弁護士ですが、演じた滝沢修はいかにも貫禄あるお父さんといった感じで、立派な紳士です。映画の後半になると桐子との関係が逆転し、それまでの真摯な姿勢が、一層理不尽さを引き立てていくことになります。桐子の復讐は大塚からすすれば、とばっちりでありそれを何とか表に出さずグッと押さえているところが哀れに見えてきます。でも本当のとばっちりは大塚弁護士の愛人である河野径子(新珠三千代)。彼女は何もしていないのですから。

冤罪で獄中死した桐子の兄・柳田正夫(露口茂)の最大の過ちは殺人現場に遭遇したときに逃げたことでしょう。そうではなく直ぐに警察に連絡すれば、その後の悲惨な展開は避けられたかもしれないのです。これは教訓的と言えます。

新たな犯罪者となった桐子ですが、倍賞千恵子は飄々とした感じなので、後半は一層不気味になっていきます。つまり、彼女は怪物と化していくわけです。ボタンを掛け違うと果ては恐ろしいことまでになってしまう…、こちらも教訓的と言えそうです。

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