夢に生きる男と今しか見ない女の華麗なる話

映画「華麗なるギャツビー」(1974年)

■製作年:1974年
■監督:ジャック・クレイトン
■出演:ロバート・レッドフォード、ミア・ファロー、ブルース・ダーン、他

アメリカのロスト・ジェネレーション世代を代表する小説家スコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」、数年前もレオナルド・ディカプリオ主演で映画化され公開されましたが、今回、私が見たのは1974年に製作されたロバート・レッドフォードとミア・ファローが主演したもの。

1974年とは今から45年以上前の作品で、ロバート・レッドフォードが全盛期の頃ですね。私は大学生の頃にテレビでこの映画を見た記憶があり、ギャツビー=ロバート・レッドフォードのイメージが強く残っています。白のスーツでピシッと決めた姿が、実にカッコよかったとうっすらと残っているのですが、何十年ぶりに見てもそれは同じ印象でした。ただ、経年によって肝心の内容はどんな話であったかはすっかり忘れてしまっているのですが・・・。

この「華麗なるギャツビー」を見る前に、村上春樹が翻訳した原作を読みました。それによると概ねこの映画は原作に忠実に作られているようです。この「華麗なるギャツビー」の物語は一言でいえば、ギャツビーという成り上がりの男の一途な愛の話となるのですが、映画を見ていると、一途というところが美しいという言葉では飾れない屈折した面を持っていることがわかります。

ギャツビーという男は一文無しから巨額の富を得るまでを短期間でなし得るわけですが、それらが最終的にデイジーという女性に結実していっている。それは一種、偏執的でもあります。デイジーの目を引くために豪華すぎるパーティー、絢爛たる屋敷、湯水に使う金、金、金…それはギャツビーとデイジーの身分差を打ち消すためのあまりも贅沢なコンプレックスを消す方法なのか?

文無しの将校時代に知り合った富裕層の女性デイジーに魂の底からとらわれてしまっているギャツビーは、彼女こそがファム・ファタールとして存在しているのです。心の中に幻影として存在しているときはひたすら彼女と対等の立場に立てるよう成功者の道を歩み、実際に目の前に現れ再会したときは、どうなんだろうか。ギャツビーの想いとは裏腹にデイジーの気持ちは別の所にあったように思います。彼女にとっては、ギャツビーは所詮、火遊びに過ぎなかった。デイジーがひき逃げし、それをギャツビーが肩代わりしても、何もない。

彼女には何事も起こらなかったことになってしまう。逆に濡れ衣を着せられたギャツビーは命を落とすことになってしまう。この結末を見る限りギャツビーは女を見る目がなかった、といえそうです。黒澤明の映画に「悪い奴らはよく眠る」という作品があるが、まさしくこの映画はそうした部分を垣間見せるのでした。

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