つぶらな瞳に魅了されて「ミツバチのささやき」

映画「ミツバチのささやき」(1973年)

■監督:ビクトル・エリセ
■出演:アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、他

ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」は、名画として今も愛され続けている映画。その愛される理由はなんといっても、主役を演じた少女アナ・トレントの、可愛さではないだろうか?純真で吸い込まれるような大きな瞳の女の子アナの何とも言えぬ可愛さにの魅力に「ミツバチのささやき」は永遠の傑作となった。こうしたを見ると、映画って、誰が演じるかによって、そしてどう映像化するによって、大きく印象が変わるのだということ、あらためて感じるのです。

スペインの片田舎、巡回してくる映画、当時はこんなかんじだったんなと思わされる。そこで、イメージを決定づけた古典的映画「フランケンシュタイン」を観た6歳の少女アナは、怪物に少女が無邪気に花を積んであげ、怪物がおとめの命を奪い、自らも殺される結末に衝撃を受けます。 「なぜ怪物は女の子を殺し、彼も殺されたの?」と問うアナに対し、姉のイサベルは「あれは映画よ。怪物は本当は死んでいない、精霊だから」と嘘をつきます。その言葉を信じたアナは、村外れの廃屋で精霊を探し始め、やがてそこに隠れていた一人の脱走兵と出会います。

映画は激しい展開もなく、じっくりとそして静かに淡々と見せていくためか、最初はアナのつぶらな瞳に魅了されてしまうのですが、映画をみながら、これはどういう意味なんだろと思考が巡っていきます。だからこの映画は文学的要素も強く持った作品と言えそうです。

舞台となっている1940年は、フランコ独裁政権が成立した直後。あのヘミングウェイがスペイン内戦を舞台とした「誰がために鐘は鳴る」を書いた頃ですね。おそらくアナの家族は、独裁に負けた共和派を支持していたのでしょうか?寡黙に生活しているようです。父は養蜂に没頭し、母は、はっきりしませんが、おそらく亡命者した友人か元恋人に手紙を書き続けているように見えます。それは、よく言われているように養蜂の、タイトルにあるミツバチ、ハチの巣がフランコ独裁政権の管理者された社会のメタファーでもあり、口を閉ざさる得ない抑圧された社会、女王バチ=フランコ政権にのために黙々と働くことを象徴しているかのようです。アナの住む家のステンドグラスも六角形の形で、それも暗にハチの巣を暗示しているかのようです。このように「ミツバチのささやき」は、それが正しいかわかりませんが、見るものによってさまざまな解釈ができる作品になっています。

少女アナの、吸い込まれるような黒い瞳を見ていると、彼女は演技していたのか?とか、監督はどうやって興味津々の自然な姿を撮影できたのか?という素朴な疑問さえ湧いてきます。それほどにアナはまるで天使のように光り輝いていました。アナはフランケンシュタインの怪物に恐怖ではなく共感を抱いたのは、怪物が社会から排除されたアウトサイダーとして孤独な存在に映ったのでしょう。内線で敗れ脱走兵も行き場がなくなった孤独な存在。アナにとってはクリーチャーも傷ついた脱走兵も、恐ろしい存在ではなく、孤独な存在として私と同じと共感を覚えたのかもしれません。そこには汚れてしまった大人の心には響き合えない、子供ゆえの無垢な魂だから余分なフィルターもかからずに、響き合った人間存在としての深みさえ感じます。大人は本当になんでも知っている分別ある人間なのでしょうか?ともいいたくなるような・・・。

ところで、このつぶらな瞳絶の魅力で観客の心をとらえた少女アナは50年後、同じビクトル・エリセ監督作品の「瞳をとじて」に出演している。なんという奇跡といいたくなるような監督の人間愛を感じるような出来事だなとそれだけで感動してしまったのです。

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