世界で一番有名な死体「ブラック・ダリア」

映画「ブラック・ダリア」(2006年)
■監督:ブライアン・デ・パルマ
■出演:ジョシュ・ハーネッツト、アーリン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンク、他
この作品は、1947年にロサンゼルスで実際に起きた「ブラック・ダリア事件」と呼ばれる未解決の猟奇殺人事件を題材に、ジェームズ・エルロイが小説化したものをブライアン・デ・パルマが映画化したもの。
ブラック・ダリア事件とは、「女優になりたい」という夢を抱きながらも、実際には端役すら得られず、定職にも就けない不安定な生活を送っていた22歳の女性・エリザベス・ショートが、体が腰の位置で完全に切断され、血液はほぼ抜かれ、顔には口元から耳にかけて裂かれた無残な遺体として、ロサンゼルス郊外の空き地で発見された事件。実際は異常でもっと惨いことをされたようだが、残酷すぎるのでここでは触れません。ブラック・ダリアという呼び名は、エリザベス・ショートが黒い服を好んで着ていたこと、そして当時公開されていた映画「青いダリア」になぞらえて新聞記者が付けたことにより、こぞってマスコミはそう呼ぶようになったという。事件は、憶測が憶測を呼び被害者のエリザベス・ショートのイメージが独り歩きし、象徴的存在となった。そしてこの事件は、未解決で、決定的な証拠は一切得られず、犯人は特定されないままに終わってしまうことにより、ブラック・ダリアは世界で一番有名な死体になったのだ。
この異常な事件に興味を持ち、小説を書き映画の原作となるジェイムズ・エルロイも、自身の母親がブラック・ダリア同様の未解決の殺人事件の被害者であったということもあり、この事件を入口として、エルロイが、戦後ロサンゼルスの権力構造、暴力衝動、そしてアメリカ社会の病理を過剰なまでに小説に描きこんだとされる。そこに私が敬愛するブライアン・デ・パルマが映画化したとは言え、物語は関係性が複雑であり、微妙な出来になっている。実際の未解決事件、それにヒントを得た創作文学、映像作家性の強い映画監督と言う構図であって、作品はきわめて不安定な地点に立っている。正直、映画を観ていて、どこに焦点を絞ったらいいか、映像を追っていても、消化不良の印象を受けてしまい、不評の感想も多いのである。ただ、私はこの消化不良の不安定さこそが、なぜか妙に気に入っているのだが…。
実際はそうした事実は判明していないものの、エリザベス・ショートはハリウッドに憧れ、転落し、ブルーフィルムの出たような描き方をされているが、その流れがあまりに型にはまるというか、ある種典型的とも言え、きらびやかな都市の奥に潜んだ倒錯と暴力、ハリウッドの栄光と闇を、ブライアン・デ・パルマは、セピア調の映像、そして彼流のカメラワークとによって、まるで主人公の刑事バッキーの悪夢をみるような感じに描いている。もしかしたら私は一見、二枚目で好青年なイメージで、およそ世俗にまみれた海千山千のハードボイルドな感じがしないので、優等生顔のバッキーのだらしなさ、弱さも含めて、逆にこうゆうのもあるよなと、好感をもったのかもしれない。
また悲劇の女性エリザベス・ショートの惨殺死体を、デ・パルマらしくなく、はっきりと見せないで、逆に生前の姿としてオーディション・テープの映像が劇中で何度も挿入しされ、このシーンの演じた女優ミア・カーシュナーの演技が、ほんの僅か挿入された部分映像であるにもかかわらず、マスコミのネタにされた、一方的なイメージを埋め込まれた、なぞのエリザベス・ショートという女性の儚さを浮きだたせ、素晴らしいなと感じた。そしてこのオーデション・テープの監督自身の声が、なんとブライアン・デ・パルマ自身であるということも、面白いのだ。
消化不良でわかりづらいという声も多い?映画「ブラック・ダリア」ですが、私はブライアン・デ・パルマが好きな映画監督のひとりなのからか、無意識にひいき目に見てしまうためなのか、この映画好きな作品なんですね。

