SNS時代を予言していた「リダクテッド 真実の価値」

映画「リダクテッド 真実の価値」(2007年)
■監督:ブライアン・デ・パルマ
■出演:パトリック・キャロル、ロブ・デヴァニー、他
私の好きな映画監督の1人、ブライアン・デ・パルマ監督の「リダクテッド 真実の価値」は、これまでの彼の作品とはテイストが全然違う作品となっている。あるのは断片化された不十分な粗い映像と、見る者に突きつけられる、ひどいことをするな、という不快で怒りの感覚だけです。提示される情報の不親切さと獣のような行為による居心地の悪さ、この感覚が公開当時観客の不評をかったようです。私も公開当時、映画館で見ましたが、デ・パルマ監督なので期待したのでが、どこか不完全燃焼なスカされた印象しかなく、一体何をやりたかったんだという印象が残りました。
しかし、久しぶりに見てみて?印象が、がらっと変わりました。今と言う時代を予告するような早すぎる作品と気づいたのです。デ・パルマ監督はこれまでの彼独特の作風を捨ててまで、全く違うものを、あえて作ったのは、彼の怒り、警告のような強い意気込みがあったんだろうと感じたのです。SNSが普及しフェイクニュースがネットで飛び交う現代において、この映画が投げかけた問いは、当時よりも遥かに不気味なリアリティを持っていたのです。
映画のタイトルになっている「リダクテッド」は、英語の編集する、修正するという意味の「redact」の過去分詞形であり、映像において、不都合な情報、機密情報、個人情報などが削除・黒塗りされた編集済みの状態を意味しているという。この意味を当時は全く意識しなかったのですが、今となってみれば、そうではありません。
映画のベースになっているのは、2006年にイラク戦争の時に、実際に起きた「マフムーディーヤ事件」です。イラクの検問所に駐留していたアメリカ兵たちが、地元の少女に目をつけ、ある夜、彼女の家に押し入り、家族を殺害した上で少女をレイプし、最後には火を放ったというあまりにも凄惨な事件。
デ・パルマにとって兵士による現地女性のレイプ事件を扱うのは、1989年の「カジュアリティーズ」があり初めてではありません。デ・パルマはベトナム戦争におきた同様の事件を描いたのです。しかし、あの作品にはマイケル・J・フォックス演じる兵士が良心の存在し、物語の中で正義とは?が問われていました。
この「リダクテッド」では、この事件を題材に、その事件を物語を語ることではなく、戦争がどのように撮影され、編集され、削除されていくか、というプロセスそのものを映画にするという実験的な試みをおこなっています。そこには兵士が撮影したホームビデオ風の映像、ドキュメンタリー番組の映像、テロリスト側がネットに公開した犯行声明の映像、監視カメラの映像、動画投稿サイトの映像など、数々の映像のつぎはぎによって事件を構成しています。そこには語り手も、中心人物もいません。あるのは数々の断片的な映像のみ。デ・パルマは、その数々の映像を通じて遠く離れた場所で、まるで消費されるコンテンツに変質してしまったことを意識しているかのようです。
だから全然、映画的カタルシスや高揚感はないし、素人っぽい映像の羅列ばかり。その現象は、現在のSNSの時代から見れば、「リダクテッド」は、時代を先取りした作品だったのです。もし、私たちが何らかの事件を知ろうとしたら、私たちの頭の中はまるで「リダクテッド」と同じような感じで情報を集めているのではないかと思うのです。その意味でデ・パルマは早すぎた手法で、こんにちの状況を予告するかのような映画を作ったのでした。
権力やメディアによって都合の悪い事柄は、部分的や削除されたり、上書きされたり、断片としてしか残らず、やがて忘れ去られる。いずれ忘れるからさ、人間てやつは、と言わんばかりに・・・。正直、このような現象が起こるのは、わからなくもない。やっぱり、言えないことも多々あるし、それを批判する側も、どうなんだ?と問われれば、批判する側も聖人君子ではない。似た者同士。見えなくされた真実の価値とは?というものを実験的に、デ・パルマが提示した作品とも言えます。作品は映画的な昇華作用はないかもしれないが、かかんに挑んだその精神に称賛したいと思う。

