信じることを選ぶこと「落下の解剖学」

映画「落下の解剖学」(2023年)
■監督:ジュスティーヌ・トリエ
■出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、他
ジュスティーヌ・トリエ監督の映画「落下の解剖学は、なにも予備知識をなく見たのですが、当初サスペンスからと思っていたら、大きくそうしたものを覆す骨太な作品でした。サスペンスの要素もあるのですが、そうしたものを超える、もっと奥深いもので 観賞後は、いろいろ考えさせられました。
舞台はフランスの雪深い山荘。ある日、そこから男性が転落死する。彼はドイツ出身の作家サンドラの夫であり、同居していた11歳の息子は視覚障害を抱えていた。事件は単なる事故か、自殺か、あるいは妻による殺人なのか。裁判が進むにつれ、夫婦の間に横たわっていた緊張や嫉妬、軋轢が赤裸々に明らかにされていく。後半から映画がすごくなっていきます。
裁判で見えてくるのは転落死の物理的な分析以上に夫婦関係そのものが法廷で明らかになってくるんです。愛と嫉妬、創造性の葛藤、男女の主導権、夫婦の営みが持つ脆さと暴力性が、冷徹に語られていく。冷徹にというのは、夫婦喧嘩を録音したものが、残っており、それを聞くという場面が、強烈だったからです。この喧嘩があまりにも生々しく、ここまでリアル感持って描いた映像ははじめてです。これにより観客は、さらに自殺なのか他殺なのか、ゆらぎはじめ観客はわからなくなると思うのです。
さらに、息子の存在。彼は唯一の目撃者といえるが、視覚障害を抱えているため完全な証言はできない。代わりに彼が直面するのは、「母を信じるか否か」という心理的な選択ということが見え隠れしてくるのです。
裁判は最終的に母親の無実となる、つまり父親魔自殺したというこになったのですが、その家で起こったことは描かれていません。つまり真実はどうだったのか?ということは描かれていないのです。父親の自殺なのか、母親がやってしまったのか、そうした映像は流れず、裁判の結果だけが映し出されます。
「落下の解剖学」が、すごいと感じさせるところは、事件自体はすごくシンプル、登場人物も少なく、じっくり見せていくのに、実はこうだったよという、事実そのものを描くでなく、自殺か他殺かあなたはどう思う?という感覚を残し、真実の不確かさをなんとなく感じさせるところにあると思うのです。証言は常に偏りを持ち、解釈は状況によって変わる。言葉は明確な意味を持つようでいて、他者に伝わる過程で揺らぎを帯びる。監督は、その揺らぎを徹底的に描き出すことによって、観客に問うのだ。このような論法で見せる映画、私は、初めてです。映画の評価高いのわかる気がします。母親を演じた ザンドラ・ヒュラー 、「関心領域」という映画でもヘスの妻を演じ、注目の女優ですね。