中世ヨーロッパ最大の異端カタリ派について考えた

私はカタリ派という存在を知らずにきました。数年前、南フランスに行った時、ドライバーの方が、車を止めて、あそこがカタリ派最後の砦になったモンセギュールと教えてくれました。それをきっかけに、調べるとカタリ派はカトリックから異端と弾圧され、最後はモンセギュールに立てこもり絶滅したということがわかりました。

その話はイスラエルのユダヤ人がマサダという砦に立てこもり、ローマ軍により全滅し、以来、2000年間、流浪の民となったことを連想しました。カタリ派はキリスト教徒でありながら、カトリックと考え方が違うということで、やはりアルビジョア十字軍という軍を派遣され、揚げ句は異端ということで火あぶりの刑になった人たちなのでした。

そしてフランス人なら一度は訪れてみたいという世界遺産にもなっているお城、カルカッソンヌ、その時にカルカッソンヌにも行ったのですが、ここの城主もカタリ派の養護だったことがわかり、カタリ派への興味が出てきたのです。

整理するとカタリ派は、10世紀から13世紀にかけ、南フランスと北イタリアで展開したカトリックとは考え方を異にする宗教的潮流。南フランスでは、スペインに近いラングドック地方がその舞台となりました。北イタリアでは、ミラノ、トリノ、フィレンツェなどが主要拠点として知られています。

カタリ派の思想内容は、「反宇宙論・霊肉二元論」を唱えました。「反宇宙論」とは、「創造主が不完全に造ったこの世には悪が充満している」という思想であり、「霊肉二元論」とは、「正しい叡智を得ることで、自己の本質=霊・魂・精神に気づき、肉体=物質という悪から解放される」ことを説く思想です。

その信仰のため彼らは、魂が物質世界からの束縛を解き、霊的な完全性に到達するために、物質的な贅沢と肉体的な快楽を拒絶し、禁欲的で精神的な生活を営むことを奨励しました。こうした考え方は、カトリックの権威主義的な体制に反し、カタリ派は広がりをみせていくことになります。

しかしこのカタリ派の思想は、カトリック教会から危険視され、「異端認定」されました。そして、ローマ教皇は異端撲滅に向け、フランス国王と組んでアルビジョア十字軍を提唱します。その軍の名は、カタリ派の拠点都市のひとつであった「アルビ」の人々を討伐する軍を表していると言います。

しかし異端としてカタリ派を火あぶりにしてしまうのはひどい話です。カタリ派もキリスト教徒であり、基本は土葬を望むはずなんです。なぜなら最後の審判の時にキリスト教徒は復活するとされており、土葬が基本なわけです。火あぶりとは灰にしてしまう訳なので、彼らの信仰に対して鉄槌を加えるような行為なのです。本来なら人を救うはずの宗教が、異端撲滅を旗印に軍を結成し命を奪い、さらに信仰心に対して残酷な仕打ちをするわけです。

カタリ派のモンセギュール陥落には都市伝説的な話があり、それはカタリ派が聖杯を持っており、モンセギュール陥落の時にそれを持ち逃げたという話。ただこれは、彼らは十字架は拷問の装具でありそれを崇拝するのはおかしいというスタンスだったので、聖遺物の信仰もなかったようなので、幻の聖杯を持っていたというのはおかしな話という説があるようです。

キリストの貧者か悪魔の使徒か?カタリ派の発言より。

「ローマ教会は大神の群れに送り込まれた羊などでは決してない。むしろ、羊や山羊の群れに送り込まれた狼である。あらゆる手段を尽くし、ユダヤ人などの異教徒を支配しようとしている」(ダブリン典礼書)

「教会には2つあります。逃げまどい罪を赦す教会と所有し暴力を振う教会です。使徒のたどった正しい道を受け継いでいるのは逃げ惑い罪を赦す教会です。この教会は、うそもつきませんし、欺きもしません。もう一方の所有し、暴力を振う教会とはローマ教会のことです。(異端審問官の前での発言)

※以上は、アンヌ・ブルドン著「カタリ派ー中世ヨーロッパ最大の異端」を参考にしました。

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