東海道四谷怪談;鶴屋南北の仕掛け
日本で一番有名な怪談「東海道四谷怪談」。それは文政8年1825年、江戸中村座で、作者の鶴屋南北の巧妙な演出により上演され、歌舞伎史上最大級の傑作として称されました。この上演では、この四谷怪談は、忠臣蔵のサイドストーリーでもあるのをご存じでしょうか?
歌舞伎の上演において、忠臣蔵の前半部分と四谷怪談の前半部分が組み合わされ、続く日には忠臣蔵と四谷怪談の後半部分が上演され、四谷怪談を忠臣蔵のネガとすることで、鶴屋南北のメタフィクショナルな性格が際立つ演出が行われました。
私は劇作家の鶴屋南北を高く評価しています。というのは江戸時代、彼は社会のタブーに切り込み、価値観の転倒を歌舞伎という世界で実現させた唯一無二の作家だからです。
鶴屋南北は聖と俗、貴と賎を変換し、庶民文化に深い影響を与えました。お岩さん、伊右衛門、お梅、物語のキャラクターは南北の賎民出自を反映し、彼の演劇における現実主義と奇想天外さの融合を示したのです。特にお岩さんは、南北の力強い表現を通じて、怒りや復讐の象徴として登場し、もっとも有名な幽霊になったのです。
この四谷怪談は、歌舞伎のみならず、映画やテレビ、漫画の題材としても取り上げられていくことになります。しかし、怨霊としての性格が強調されるあまり、南北が仕掛けた、伊右衛門やお岩さんを通じて、社会の偽善や階級制度への皮肉と批判を表現したことはあまりピックアップされなくなったように思います。つまり夏の怪談話の定番としてエンターテイメントとしての側面が目立つようになっていきました。
しかし鶴屋南北こそが、秀逸な文学的な天才であり、その逆転的な演出、逆転を通じて社会矛盾を告発し、外れ者である自身と観客との共感を図りました。この逆転こそが、南北が社会のしいたげられた人々へエールを提供する一方、人は深層において階級制度を歌舞伎という手段で笑い飛ばし、人間裸になれば、みな平等なんだとどこかで感じさせてくれる手段であったと私は思うのです。だから鶴屋南北の巧妙なストーリーテリングとキャラクター描写は、歌舞伎史上の偉大な遺産として称賛されるわけなのです。