「恐怖」について考えた二、三のこと・・・③

今回も、哲学者の戸田山和久氏の「恐怖の構造」という本を参考にして、「恐怖」について考えてみたいと思います。ただし、この本は哲学者が著者であるため、非常に難解な内容です。私自身も正確に理解しているかどうかには疑問がありますが、それでも印象に残った部分を元に考えてみたいと思います。

戸田山氏は、恐怖について3つの段階に分けて説明しています。まず、(1)「ワンワン認知」という段階では、自分に害をなす可能性を持つ対象を認識することを指します。つまり、恐怖する対象を認識することで、その対象に対して恐怖心を持っていることがわかります。

次に、(2)「アラコワイ感覚」という段階では、恐ろしさや恐怖感を感じる状況を指します。この段階では、実際に恐怖を感じている状態を表現しています。

最後に、(3)「キャー行動」という段階では、危害を避けるための行動や動機づけを促すシグナルを指します。この段階では、恐怖から逃れるための行動や対策を取ることが示されています。

これらの段階を組み合わせることで、「アラコワイキャー体験」と呼ばれる恐怖の体験が生まれると説明されています。なお、ワンワン認知では対象と評価の2つの要素が分類され、恐怖する対象があることは、その対象に志向性があることを意味しています。また、評価とは、対象の価値や意味づけの仕方を指し、その評価自体が恐怖の感じや身体的反応として現れるとされています。

恐怖には何らかの対象の認知、その対象への評価、恐怖の感じ、闘争/逃避の反応と呼ばれる身体的・生理的反応が含まれているのです。

ところで「表象」という概念があり「表象」とは、何か別のものを代わりとして表現しているもので、表象の志向的内容とは、そこであらわされていることがらを指します

そして、意識体験とは、私たちが感じたり経験したりする心の状態のことなのですが、この意識体験は、私たちが外界の事物や出来事を表現するための一種の表象です。つまり、私たちが感じるさまざまな感情や感覚は、その表象されている対象の特性や性質そのものです。

つまり、私たちが意識体験を通じて感じるものは、表象された対象の本来の特徴や性質を反映しているといえるのです。なので、意識体験とは、私たちが外界の様子や事物がどのようなものなのかを表現するための表象の一つと言えるのです。私たちが感じたり経験したりすることで、私たちの意識は外部の世界の様相を表現する役割を果たしています。

ここでこの表象をベースにすると、恐怖とは、私たちが直面している緊急で具体的な身体的危険に関連する重要な関係性を表現する一種の表象です。この表象は、私たちにその情報を伝えることと、それに基づいて適切な行動を促すことです。恐怖の感情や身体的反応=表象は、私たちに「危険だ!」というメッセージを送り、私たちが注意を払い、適切な対処行動をとるように促すのです。

哲学者の本を手掛かりにしたので、私自身、わかったような、わからないような、曖昧な感じなのですが、戸田山氏は「人間のユニークさを理解するためには、単純な情報処理機械であるバクテリアからスタートして、表象能力を次第に獲得することで我々のようなヘンテコな存在が生じた。」「哲学は生物学、脳科学とシームレスにつながるべき」と。

どうやら「表象」というのが、私たち人間のキーワードのひとつにありそうですね。

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