エゴン・シーレ、煌めく才能と死と自画像

「エゴン・シーレ展」(東京都美術館)

2023年4月9日まで東京上野の東京都美術館で「エゴン・シーレ」展が開催されています。一度見たら、そのインパクトが脳裏に焼き付き、忘れがたい独特の絵。私はそのエゴン・シーレの絵をはじめて観る機会を得たのは1986年の「エゴン・シーレとウィーン世紀末展」だったと思います。そして1991年に開催された大規模な「エゴン・シーレ展」。

忘れた頃にやってくるエゴン・シーレの絵、見るたびに感心させられ、強烈な磁場でもって、ひきつけられてしまうのですが、シーレの絵は観たときの自分自身年齢や世の中の状態などから受け取り方も多少は変化をしているようです。私は美術の専門家ではないので、私の独断と偏見の感想を述べさせていただきます。

はじめてエゴン・シーレの絵を見たときは、まるでローリングストーンズの音楽でも聴いたかのような感覚を受けました。狂おしいまでの魂の叫び、怒り、苦痛、喜び・・・。私も若かったということですかね。

やがて私も歳を重ね、近年はコロナというパンディミックを経験。当のエゴン・シーレは第一次世界大戦を経験し、当時流行したスペイン風邪で亡くなっているんですね。本人の意思とは裏腹に感染症で、短い人生で終えてしまったのがシーレです。シーレの絵にはよく<死>を感じさせるものが色濃く反映されているというのも、そうした戦争、パンデミックという死という幻影の重しがのしかかった時代の気分とでもいうべきものが反映しているかもしれません。

シーレの絵は、人物を描いているのですが、肉体が不自然にねじれ、皮膚も肌というより肉片がむき出したかのようで、体のパーツも、たとえば手なんか見ると、体のサイズに比べ異様に大きかったりと、観るもののイメージを不安定にさせ違和感を感じさせ、大きなインパクトを与える絵というのがシーレの特徴だと思います。

中でも自画像、シーレは多くの自画像を描いているのですが、そこには理想的な自分というのではなく、欲望やエゴ、さらには死のにおいさえ感じさせるグロテスクを強調した自分自身の像なのです

つまり自画像ということは鏡に自分の姿を写して、描いていることになります。鏡に映った自分。鏡の国のアリスではないですが、鏡は異次元への入口と見るならば、鏡に映った自分は異次元の自分。鏡という反射光が網膜に映り、自分自身の奥深くあるものあぶり出す、投影することにより、もう一人の自分があらわになり、鏡の前の現実世界の自分の眼と手は、鏡の像に引きずられ、あの異様な姿の自分自身を描き出す。

こうしたナルシズム的な行為によって出来上がった絵は、ペロっと一皮むけた仮面の下の自分を映し出し、時代を越えて観るものの心に働きかけ、共鳴するんじゃないのかなと想像するのです。

生きる意味がわからないまま悶々として夜が来て朝が来る、なんのために俺は生きているんだ、自分自身の欲望のエネルギーを制御できず、死の足音も忍び寄る、そんな実存の叫びのようなものがシーレの絵から私には伝わってきます。その感じが若い私にロックを感じさせたのかもしれません。

私にとってエゴン・シーレの決め手は<眼>です。いびつな肉体に光る二つの眼。この目がするどく、そして狂おしく訴えかけてくるんです。こんな眼光を描いた作家は他にいないだろう。

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