欲望のエゴが人間をがんじがらめに、未来惑星ザルドス!

映画「未来惑星ザルドス」(1974年)

■製作年:1974年
■監督:ジョン・ブアマン
■主演:ショーン・コネリー、シャーロット・ランプリング、サラ・ケステルマン、他

映画「未来惑星ザルドス」は、1974年公開だから当時私は13歳ということになります。公開時、映画は見ていないものの巨大な顔の石像が宙に浮かんだ映画の広告のイメージとザルドスという名前はは幼い私にインパクトを残しました。そしておおむね50年後にその映画を映画館で見ることにしたのです。見て思ったのが、公開時にこの映画を見てもさっぱりわからなかっただろうな、ということ。

映画は近未来を描いており、不老不死を手に入れた人間とそうでない人間がいること。死なないということは、子供で命を繋ぐというということがないので、基本、生殖ということは余分行為ということになります。死にたくても死なないというドラキュラの悩みのような。

この映画は監督が作りたい作品をということで、私財のリスクを負って作ったということなので多分に監督の主張というものが入っており、メッセージ色が強い。監督が投げかけた問題は今に通じるものがある。

冒頭から前口上のような演出があり、ここで「私は映画で偽の神を演じる、もう300年生きたから死にたい」と狂言回しのような人物に語らせる。これが映画のエッセンスのようなものをい言えていて、後半、死ねない老人たちが、こぞって殺してくれと願う。病苦の苦しみを克服した人類は不死を得て、不死の人間らは自らを外の世界と隔離し生活をしている。しかし、それが幸せなのか?変化のない日常が永遠に続く。

人類は病と戦いそれを克服したものの、死ねない現実が立ちふさがる。なので今度は死を望むようになる。人間の欲望は限りないのだ。映画のラストが象徴的で、男女のカップルに子供生まれ、やがて子供は育ち親は老いていく。そして最後は骨となり朽ち果ててしまう。アダムとイヴのやり直しのような、そこから人類史が再び始まる。

超古代文明という都市伝説的なことがある。欲望のエゴを持つ人間は発達と共に自ら破滅の道を進み滅んでしまいその文明の痕跡は海の底に沈んでしまっており、我々は超古代文明を伺うことができない。洪水や地殻変動で滅んだ文明と我々の文明。世界の屋根と言われるヒマラヤが過去は海でありその化石が取れるというのだから、以外と太平洋の深海に何かの遺跡があってもおかしくない?なんてことを「惑星ザルドス」を見て思いました。

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