生と死の境界、冥界下りに見るなの禁、コクトーの「オルフェ」の世界

映画「オルフェ」(1950年)

■製作年:1950年
■監督:ジャン・コクトー
■出演:ジャン・マレー、フランソワ・ペリエ、マリア・カザレス、マリー・ディア、他

ジャン・コクトーの映画「オルフェ」は、ギリシャ神話のオルフェウスを下敷きに、その話をコクトー流に現代にアレンジしたものということ。神話ではオルフェウスは吟遊詩人、コクトーも多彩な詩人、そして映画の主人公も詩人の設定です。

オルフェウスは愛する妻のエウリディケの死に際して、未練がありあきらめることができず、黄泉の国にいる亡くなった妻に会いに行く冥界下りが有名です。そこでない黄泉の国の王ハデスと妻ペルセポネにより、地上に帰るまで決して振り返って妻を見てはいけないという条件で、愛する妻を連れて帰ることが許されるも、オルフェウスは、つい振り返って妻を見てしまいます。すると妻は黄泉の世界へ戻ってしまいオルフェウスの夢は叶わなかったという話。

この〈見るなの禁〉については、日本神話のイザナギ・イザナミや、鶴の恩返しなどに見ることができます。旧約聖書のソドムとゴモラの話で振り返ったロトが塩柱になってしまったのもそうでしょう。〈見るなの禁〉神話や伝説に多く見られる現象。見るなと言われれば、見たくなるのが人間の性なんでしょが。

映画では黄泉の国の王女なる女性が出てきて、<鏡>を媒介に黄泉の国へと行きます。この鏡は「鏡の国のアリス」でも異次元世界へ行く入口であり、象徴的な役割が付与さてています。それはコクトーの映画「詩人の血」「美女と野獣」でも同様で、幻想性をひきたてる大きな要素になちっていますが、もう一つ、<手袋>というものもあり、黄泉の国へ行くには手袋をしなくてはならない。それは「美女と野獣」でも異次元の世界へ瞬間移動するための重要なツールでありました。

コクトーが題材としたオルフェウスですが、古代ギリシアの密儀宗教オルフェウス教の源ともいわれています。このオルフェウス教はBC7世紀~BC5世紀ごろに栄えたもの。密儀というくらいだから奥義を実践する秘密の宗教儀礼もあったのでしょう。ちなみに、オルフェウス教は、輪廻転生を説き、肉体は牢獄であり魂は永遠不滅の本質であるという教えらしいので、コクトーは「オルフェ」を作るくらいだし、冥界下りを映像化するくらいだからそうしたことに共感する部分もあったのでしょうか?コクトーは、一時阿片中毒に陥り、カトリックにも出入りしていたそうですが・・・。

そう言えば冥界で審判者もいたような。閻魔大王やエジプトの死者の書を想起させます。ただコクトーの場合はスーツを着ていたと思います。いずれにせよ、カトリックから見れば異教感は否めないけど、芸術はギリシャ=ローマ神話をベースに発達しましたからね。

独自の恩恵にあずかって、ジャン・コクトーは、私たちの誰もが失ってしまったものー心の一番奥にある魔術幻灯(夢幻的光景)ーを失わずに来た。彼は、禁じられた領域も、岩石だらけの道も、すり減った敷居も知らない。雷光の頼もしい姿のように、若年には珍しいものではない、驚くべき超自然的な出来事の輪郭をはっきりさせる火のへりが、彼にあってはまだ消えていないのだ。(by コレット)

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