90年前のジャン・コクトーによる先鋭的映画「詩人の血」

映画「詩人の血」(1932年)

ジャン・コクトーの映画「詩人の血」は、製作されたのが1932年。今から90年以上前の映画。映画というよりイメージ映像、実験映像に近い。このアバンギャルドな作品はサルバドール・ダリとルイス・ブュニュエルが、1928年に作った「アンダルシアの犬」と並び称される作品。私はコクトーの「詩人の血」は、今回恵比寿ガーデンシネマに上映された「ジャン・コクトー映画祭」で初めて見たのでした。

なかなか苦行にも近い映画なんだけど、ありがちで陥るワナなのが、意味をつかみとっていくのが難解なこと。そのイメージの飛翔を楽しむしかない。ただ90年という歴史を考慮すると、当時はかなり衝撃的な部分もあったと思う。今となってみれば、古さは否めないのですが。

ただ表現は一昔前なんだけど、人間の精神活動はそんなに変わるものではない。映画の中で鏡の中に入っていくのを水の中に飛び込む工夫がされていたけど、鏡の向こう側の世界とは、「鏡の国のアリス」を見るまでもなく、異次元、異空間の世界へと入り込んでいく大きな手法の一つなのです。

ところで、思い出しましたことがある。学生時代、今から40年以上前のことになりますが、私は京都に住んでいて、関西では情報誌として「プレイガイド・ジャーナル」「シティロード」というものが出ていて、そこにいろいろな自主上映の情報が掲載されていました。当時、アバンギャルドの聖地として有名だった京大西部講堂で、アバンギャルド映画上映として、この「詩人の血」と「アンダルシアの犬」は必ず上映がされていたような記憶があります。京大ということもあり、当時、知的な感性を大いに刺激された若者も多かったのでしょう。

映画は50分で大まかに4部構成で以下のようなもの。

映像は冒頭、工場の煙突らしきものが崩れ落ちるところからはじまりますが、煙突はすべて崩れず映像は静止画となる。

●第1話:傷ついた手、あるいは詩人の傷跡・・・画家が絵を描いているも、その絵の中の口が動き出す。慌てて消そうとすると、その動いた口が、画家の手に移動してしまう。やがて口は彫刻へと移動する。

●第2話:壁に耳あり・・・男は彫刻に促され、鏡の向こうの世界へ行くよう、男は彫刻に促される。すると鏡は水が張った状態となり、男は」水の中に飛び込んでいく。そしていくつもの部屋の鍵穴から覗き見をするのだった。

●第3話:雪合戦・・・広場で少年同士の雪合戦が始まる。そのなかの少年が致命的なけがを負い倒れこんでします。

●第4話:聖体のパンを汚す・・・倒れた少年のその上では、テーブルでトランプをしている男女。そこを天井桟敷かのようにバルコニーから様子を見ている紳士淑女がいる。そこに均整な体の黒人男性が現れ、少年を連れ去っていく。

映画は、冒頭に出てきた煙突崩壊の映像を全部見せ、終わり(FIN)となる。

「ぼくは目に見えるぼくの血と、目には見えぬ血、肉体の血と魂の血でこの映画を作りました」とジャン・コクトーは手紙に書いています。90年以上前の一級の芸術家の試みた斬新な映像、夢魔に襲われながらも部分部分で響くものもありました。

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