ジョン・コクトーも絶賛、愛を歌ったエディット・ピアフの壮絶なる人生

映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007年)

■製作年:2007年
■監督:オリビエ・ダアン
■出演:マリオン・コティヤール、シルビー・テステュー、パスカル・グレゴリー、他

エディット・ピアフという名前の歌手は世界的、歴史的な人物であったというのは知っていたのですが、「愛の讃歌」という有名な曲があるというくらい。なぜ、この映画を見たのか?というと先日見た「ストックホルムで、ワルツを」という同じくスウェーデンの歌手を描いた映画がよかったから、そういえばエディット・ピアフを描いた映画があったなというくらいのレベルでした。

しかしこの映画を見たら大きく心を揺さぶられました。それは、ひとつはエディット・ピアフという稀有な歌姫の壮絶な人生。そしてピアフを演じたマリオン・コティヤールの魂が込められた熱演でした。すさまじいまでのエディット・ピアフの人生。映画なので劇的に、ドラマチックに描かれているにしても彼女が遭遇してきた人生はまるでジェットコースターのよう。

父母に捨てられたと同然のような生活に、祖母が営む売春宿で育つ。3歳の頃に白内障にかかり3年間は視力を失った。大道芸人だった父について7歳で街頭で歌を歌う。それを見たクラブのオーナーに声をかけられ店で歌うようになる。そこから彼女はすい星のごとく大衆に受け入れられてフランスのみならず海外でも高評価を得る世界的な歌手になる。

代名詞のような「愛の讃歌」は、当時恋人であったボクシングの世界ミドル級チャンピオンであるマルセルが、ピアフに会いに向かう飛行機が墜落し命を落とすことになることにシンクロするように「愛」の歌となったことなど。その凄まじいまでのエピソードは、まさに事実は小説より奇なりを地でいくようなだなと感じるのでした。

この映画を見て感動した私はエディット・ピアフのドキュメンタリーも見ました。彼女は小柄であり、度重なる病気とケガもあるのか、40歳代半ばなのに老婆のようでもありました。彼女へのインタビューのなかで幸せを感じるのはと聞かれたら「1日に10分くらいはある」と。公的存在になったのだから、そのように生きるのだ。そして歌がなかったら生きている意味がないというような主旨のことも答えていました。すべては芸の肥やしに・・・。そのドキュメンタリーをみてもエディット・ピアフという女性はなんと劇的な人生を送ったのだろうと。

そんなフランスの国民的歌手エディット・ピアフを演じるのが、マリオン・コティヤール。彼女はとても美しい方なのですが、老けメイクをして猫背であるき、下品な笑いをみせる。美しく見せたいというのとは全く違うエディット・ピアフという女性を全身全霊で演じたいというその姿勢に溢れていました。ここまで思い込みを激しくした女優さんの演技はめったに見ることができない。そんなマリオン・コティヤールの姿勢にも感動したのです。この映画で各種の主演女優賞を総なめしたのもよくわかるというもの。

長くエディット・ピアフを見出、親交があった、彼女を「聖なる怪物」と称した著名な詩人ジャン・コクトー、ピアフが死んだその日、その訃報を聞いたコクトーは数時間後に他界した。コクトーは「マダム・エディット・ピアフには天賦の才がある。真似はできない。彼女以前にエディット・ピアフはなく、今後も決してないだろう。」という言葉を残したそうです。

判事さん、慣れってものは恐ろしいものですね。信じていただけるかどうかわかりませんけど、女装したマクシムを、まいにちのように見ていますけど、こっちの眼が馴染んじゃって、マクシムっていうのはほんとうは女だったのかしら、そんな錯覚を起こしちゃうの。それにあの歳にしちゃ、マクシムって変わってたわ。マクシムの歳、あたし知ってんだけど、判事さん、あんたなんかよりずっと上のはずよーあら、ごめん遊べ。お気にさわって。でも、ほんと、歳のわりには若く見えた。活気もあった。それでて、うんと変わってんのよ。外出のとき、女のもの以外は、こんりんざい身に着けなかったの。そんな恰好していたら危険よって、いったけど無駄だった。マクシムったら、いい気になっていたし、ひとの忠告なんぞには耳もかさなかった。

ジャン・コクトーがエディット・ピアフのために書いた独白劇「マルセーの幻花」(釜山健・訳)ユリイカ1997年2月号より一部引用)

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