ゾーン、それは魂の最深奥の旅、映画「ストーカー」

映画「ストーカー」(1979年)

■製作年:1979年
■監督:アンドレイ・タルコフスキー
■出演:アレクサンドル・カイダノフスキー、アリーサ・フレインドリフ、アナトリー・ソロニーツィン、他
ニコライ・グリニコ

アンドレイ・タルコフスキー監督の「ストーカー」は、映画の設定とは裏腹に完全に内面への旅の物語となっています。したがって、隕石かUFOが落ちたらしい場所で、かつ、立ち入り禁止区域になっている「ゾーン」と呼ばれているSF的な場所は人の無意識の世界の象徴的な場所といえるかもしれません。なので、そのゾーンというちょっと神秘的な響きのする場所へ侵入する話ということで何か異物、未知の者との遭遇があるのか?と、よくあるアメリカのSF映画的なものと思って見ると、とても面食らうと思います。なぜならそうした設定を利用した内面に向かう詩的な映像がこの「ストーカー」なのだから。

内面のあり方を問うという意味では同じタルコフスキーの「惑星ソラリス」にもどこか似た感じがあります。「惑星ソラリス」の場合はトラウマが実在化したものが登場するので、視覚的にまだわかりやすいけど、こも「ストーカー」は思わせ振りばかりで、肩すかしを食らったと感じる人も多いんだろうなと思います。

私はDVDで見たのでまだよかったのですが、もし映画館で見たとしたら、思わせ振りで遅々として進まない映像にだから、きっと爆睡しただろうな、と想像に難くないです。DVDなのでこちらのペースで見ることができるので、タルコフスキーが提示する映像を映画館よりは、味わって見ることができたかと思うのです。タルコフスキーは比類なき映像詩人なので、映し出される映像は研ぎ澄まされて感性の奥深いところに語りかけてきます。ただ変化が少なくゆっくりしているのでそれに合わせるかのように思考のリズムもゆったりしやがて眠くなるわけです。

タルコフスキーの映画は難解ですが「ノスタルジア」「サクリファイス」という晩年の作品を見ていくと、そこに<信仰>という問題がテーマとして大きく存在しているというのが見えてきます。そうした観点からみていくとこの「ストーカー」もゾーンへの旅は、人間存在を問いかける内的な旅となっているのですが、その最深奥の部分に信仰心というものがあるとわかってきます。ゾーンの最終地点の部屋、その部屋に入ると願いが叶う、幸福が待っているというのですが、訪問者はそこに結局は入りません。それは信仰によって得られる最終地点にも思えるのですが、信仰なき時代の荒廃した世界というのが、そこに至るまでのゾーンの風景に見ることができます。戦車、ミイラ、数々の水に沈んだモノたち。

それは世界破滅の黙示録的な世界、「サクリファイス」における核戦争後の世界というのを連想させます。「サクリファイス」では召使で魔女と目された女性により世界は救済されるのですが、このストーカーでは、主人公ストーカーの娘(足が不自由)がコップを動かすという超常現象により暗喩的に表現されているように思います。この描写は見ていると、普通ではありえない現象なので、あっと思わされます。それはイエス・キリストが湖面を歩いたように・・・。

同じような表現で、ゾーンの中心部に向かうとき、どこからか黒い犬が現れてきます。なぜなのか思わせぶりでその意味をつかみ取ることが難しいのですが、どこか神の使いのようにも見えてきます。なぜならその犬は訪問者と一緒にゾーンから出てきて、主人公の家に行き家族となり、娘(少女)の超常現象も起こるのですから。

タルコフスキーの映画は言葉にするのは難しいです。詩的映像に満ちており、感性を研ぎ澄ませて見ていくしかないからです。今回の「ストーカー」もより水が多く登場し、タルコフスキーにとって水こそ欠かせない重要な要素であるということは見えてきます。文学的、芸術的な映画でしたが、面白かったです。

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