自分とは一体何か?を問いかけるSF小説「ソラリス」
「ソラリス」スタスワフ・レム(沼野充義・訳)
アンドレイ・タルコフスキーの名作映画「惑星ソラリス」は原作があり、それもSF小説の傑作と言われています。スタニスワフ・レムの「ソラリス」です。ただタルコフスキーが映画化するにあたり意見の相違でケンカ別れしたというエピソードがあります。
原作者レムの考え方と原作をベースとして独自解釈をしたタルコフスキーの解釈。解釈が逆方向ゆえに、レムが怒ったようなのです。そこで、私もレムの原作を読んでみました。
映画と同じく、ソラリスの海は自分の中のトラウマ、抑圧された記憶から形状化し本人の目の前に出現させる。ここではその形状化されたものを「お客さん」と呼んでおり、そのお客さんは自殺未遂をしても傷が癒えて普通になり、ロケットで飛ばしても翌朝には、何事もなかったように姿を見せます。
限りなく人間に近いものの人間ではない何者かに描かれ、読んでいくと私とは何か?をつきつけられるヘビー小説です。トラウマ、抑圧されたものが目の前に現れ、会話も成立するゆえに、贖罪が無意識を支配し、私とはなんだろう?と問いかけたくなるのです。
映画では出発前の故郷の映像や未来都市のイメージが映像化されましたが、小説では一切描かれていません。ここがタルコフスキーとの解釈の分岐点になっています。小説では「お客さん」がニュートリノ壊滅装置で自ら姿を消した後、ソラリスの海に降り立ち、そこで人間の記憶が作り出したであろう古代文明の遺跡のようなものを見ます。主人公は、前向きにこのソラリスの現実に向かうような印象を抱きます。
映画の方は主人公の望郷の念がソラリスによりそれが現実化し架空空間の中で埋没していくような、ある意味救いのない終わりかたをしていました。おそらくタルコフスキーは「ノスタルジア」を見るまでもなく、故郷の大地に深く思いを寄せているので、そのような終わらせかたになったのだろう、と勝手に想像するのです。
しかしレムは今、ロシア進攻で時々地名が出てくる現ウクライナのリヴィウの出身であり、彼が生まれた当時はポーランド、しかしそこが、ナチス・ドイツに占領され、やがて旧ソ連領となってしまいます。つまり短い期間に自分の住んでいる場所が何度も別の国の支配におかれてしまう。
おまけにレムはポーランド系ユダヤ人のため彼の知人たちはホロコースと無縁ではなかったそうです。レムは第二次世界大戦後、ポーランドのクラクフに移住し、そこで作家となります。
こうしたレムの人生は世界観に大きな影響を与えたのでしょう。それが「ソラリス」という人の理性、理性の限界、絶対性とはといった哲学的な作品を生み出したと言えそうです。レムの小説には地球のこと、家族のことはほとんど触れられていませんし、帰ることができたのかもわからないまま。
タルコフスキーはロシアの大地への望郷の念、レムは帰るべき場所はないという逃げ場のない絶体絶命を生きる。ソラリスの海という理解不能な絶対的な他者に対してベクトルが別の方向にむかっている、ということなんだと思います。