幻想が入り乱れる虚構地獄か?「ホーリーマウンテン」
映画「ホーリーマウンテン」(1973年)
■製作年:1973年
■監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
■出演者:アレハンドマロ・ホドロフスキー、アリエル・ドンバール、アドリアナ・ペイジ、他
鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーが監督した映画「ホーリーマウンテン」は、奇妙奇天烈な彼の手にしか作りえない作品です。もう冒頭からインパクトありすぎで、錬金術師?が女性を裸にして頭を剃り丸坊主にしてしまいます。
ホドロフスキーは禅の影響も受けているみたいなので、そうした発想がでてくるのか?ありとあらゆる表現が象徴的に描かれています。さらにはキリストのような風貌をした人物が出てきて磔刑にされたり、そのキリスト似の人物を形にして、キリストの磔刑像を大量に生産したり、それを破壊したりと、人類の精神的な共通の聖なるアイコンを揶揄しているのか、どうなのか?
さらには不老不死の秘密を握る賢者にその秘術を奪おうと、賢者が住むホーリーマウンテンへと向かう旅に出ます。ここで執着や欲望といったものとの精神的な葛藤が描かれ、仏教的な要素があるようにも見えます。(それは冒頭の剃髪につながる?)
こうした悟りへの道の修行も、不老不死の術を持つ賢者らは人形であったりと、映画に出てくるタロットの図像とともに、神秘の渦の中に見るものは巻き込まれていくのです。圧倒的ともいえる魔術的要素に幻惑されてしまうのですが、ラストは驚くしかない展開に・・・。
主人公である錬金術師らしき人物は、映画監督でもあり、「全ては映画という虚構だ」と語りかけ、画面はいきなり終わりとなる。虚構、映像はまさしく虚構の世界。精神修行や象徴的表現、神秘的な現象もすべて虚構といいたいのか?あるいは人生そのものが虚構といいたいのか?逆に虚構そのものを生み出す過程に価値を置こうとしているのか?彼の作品を見ていくと虚構を是とするような印象を持つのですが。
この虚構というキーワードで思い出すのが前衛の天才・寺山修司です。彼の生み出した作品の数々も虚構という表現でくくられ、「虚構地獄」なんていう評伝も出ているくらい。ホドロフスキーも寺山修司も幻想的かつ前衛的な作風。私は両名とも、とても好きな作家なので、虚構とはカーニバルなのだと、祝祭的なイメージで捉えたい気持ちがあります。あのフェデリコ・フェリーニが円環的な祝祭空間で映画を終わらせたように…。
ところでアレハンドロ・ホドロフスキーは、タロットを自在にあつかうタロット・リーダーでもあり、彼が作り出す映画のなかでもタロットがたびたび登場する。彼が出したとても分厚い本が「タロットの宇宙」。タロット世界観を精緻に解説している。
そのアレハンドロ・ホドロフスキーの「タロットの宇宙」に触発されたのが、ベリーダンサーでタロット鑑定士のMIHOさん。MIHOさんは日本のベリーダンサー界の第一人者。MIHOさんはタロットの大アルカナとよばれる象徴的な絵を配したカード22枚をベリーダンサー達と、タロットの神秘的な世界をダンスで表現、クリエイティブ・マインドを大いに刺激してくれるパフォーマンスを見せてくれました。それが「タロットの宇宙」、現在オンラインで配信中です。ぜひこのイメージが豊饒な世界を見てみてください!