呪いと日本人の関係性を明らかにした本

「呪いと日本人」小松和彦(角川ソフィア文庫)

呪いと日本人の関係性を表した本として重要な本が小松和彦氏の「呪いと日本人」(角川文庫)。この本は「怪と幽」で呪術入門特集号で小松和彦氏のインタビュー記事があり、そこに紹介されていたので読んでみました。陰陽道ブームが起こった時、小松氏が土着の陰陽道信仰として紹介したことで一躍有名となった高知県・物部町の土着の「いざなぎ流」と呼ばれているもの。それを本格的に研究し紹介したのが小松和彦氏、柳田国男の「遠野物語」の紹介と同じようなイメージ関係性?

太夫と呼ばれる祈祷師がいて祭文と称する祭儀に使用する宗教的物語があり、そこに呪詛の祭文(呪いの物語)が含まれていたというのが調査の発端だといいます。その中で地域の人々の言葉で使われる「すそ」という語。この「すそ」は呪詛に由来するものであり、社会秩序や自然秩序のゆがみから生じた、害をもたらす「ケガレ」のことをさしていると。

そして医者でも直せない病気を「障り」と呼び、なにかが病人に障って(触れて)いると考える。その原因は1.神仏や祖先の霊の祟り(お叱り)2.人間の邪悪な気持ちが生み出した邪悪な霊や神秘的力。の2つがあり人の邪悪な感情が神秘的な力を発動させ「生霊」(=人間が誰でもその身体のなかにかかえもっている「霊気」もしくは「気」のこと)により「すそ」が生じる)が、生霊の所有者の知らないうちに発動してしまう。憎らしい、妬ましいというマイナスの無意識の感情が相手に取り付いてしまうという。

ちなみにその治療の基本にあるのは「祓い」で、基本パターンは病人の身体に入り込んで害をなしている神秘的なものを駆り出し「みてぐら」というワラ製の器に御幣を立てめぐらした呪具に納め、それを川や村はずれ、すそ林に捨てるという治療儀礼だと。

さらには犬神家の人々ではないが、犬神統、猿神統といった憑きもの筋の家筋が存在している。憑きもの筋の起源について犬神で伝わっているのは『むかし、ある人間にとって激しい恨みをもつ者がいて、その恨みを晴らすために、自分の飼い犬を首だけ出して土の中に埋め、犬が空腹に苦しみだしたことをみはからって「どうか私の恨みを晴らしてくれ」と頼んで首を切り落とし、その霊魂を憎むべき敵に送りつけて殺したという。その子孫が犬神筋だというのだ』(「呪いと日本人」小松和彦・角川文庫から引用)といういわれ、なんともおぞましいが、それが犬神憑きにつながる土着信仰で、わたしはカトリックにみられるエクソシスト(悪魔祓い)を連想します。重度のヒステリーが原因をはっきりさせるため、そうした伝説を生んでしまったのかもしれない。小松氏も書いているようにそれは、どこにでもみられる信仰で、近代医学が浸透する以前、精神の病の原因の多くがこのような信仰で説明されていたと。

このいざなぎ流の信仰体系は、呪いを重視し呪いに関する祭文(宗教的起源譚)法文(呪術行使のための唱え言葉)が多く、その中核には陰陽道的な知識があり祭儀の方式に陰陽道の伝統が強く出ているといいます。

そして、いざなぎ流は、ケガレ=「呪詛(すそ)」を祓い捨てたりするのですが、呪詛返し(調伏返し)まであるといいます。その呪詛返しにつかわれる法文に「天道血花式」というものがあり、内容は、南無天道血花崩しの大神を、ちりまくさの王子(式神)として招き降ろして、その剣によって病人の障りをなしている悪魔や外法(邪悪な法)の類をみじんに切り刻んでしまおうというものとのこと。

さらには「不動王 生霊返し」いう呪い返しの式があり、こちらも式王子として不動明王を逆さまに招き下ろし、害をなしているさまざまな霊と、それを操る人間を血花を咲かせて呪殺しようとするもので、この唱えごとをした後に人形12体に釘を打ち込んだといいます。いずれもびっくりするような話だなと思いました。

1990年代に学研から出ていたブックス・エソテリカ6「陰陽道の本」にも、いざなぎ流が紹介されている

小松和彦氏によると日本の呪いのテクノロジーには、その盛衰から ①奈良時代の呪禁道 ②変案時代にピークを迎えら陰陽道 ③平安初期に伝えられ中世に影響力をもった密教 の3つんも流れにまとめています。ここで陰陽道が天皇や貴族などの私的領域であったものが、密教においては国家の守護、護国の修法とその影響を及ぼす範囲が広くなっていきます。

どんどん範囲が広くなっていくので困ってしまいますが、他に密教においても孔雀王咒経、宿曜秘法などの呪法や、「呪詛諸毒薬還著於本人」という観音を念ずると呪った本人に返るといったもの、不動明王を中心とした五大尊を動員した修法「五壇法」や辰狐王菩薩(茶吉尼天)を中核とするによる天皇灌頂の法(東寺即位法)など、あれもこれもと実に様々で興味深い呪法を紹介しています。

小松和彦氏によると、日本にみることができる「呪い」信仰は、ケガレを祓う、祓いのシステム=浄化のシステムであると。要するに日本文化を形づくったのそ精神風土にケガレを嫌いものがあった。もし、ケガレを嫌うのが日本人の特徴であるとしたら、世界でもトップクラスの清潔感ある街、コロナになったら全国一律でマスク・・・といったところに、脈々と続く目には見えないけど、ケガレと祓いの文化の表れがでているのかもしれないなと思った次第です。

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