第六感が冴え共感覚の持ち主だった賢治

『宮沢賢治のちから』山下聖美(新潮新書)

宮沢賢治はイマジネーション豊かな作家です。不滅の人気と言ってもいいかもしれません。どんな生涯だったのか?伝記映画を2本見てみました。大型書店の文学研究コーナー行ってみれば、勢いで花巻の宮沢賢治関連施設も行ってみました。そこは賢治の名前を使った街興しでした。宮沢賢治の経済効果を考えるならば、それは日本文学史上でもトップレベルのものがあるといえるのではないか?と。

で、宮沢賢治入門編なのであります。山下聖美という方が書いた新潮新書の「宮沢賢治のちから」は、そんなに文字数も多くなく気軽に読める本。事前に、賢治の伝記映画2本を見ていたので、あの場面はこのことかなどと映像と文字が一致してくるのでした。

本を読んでいると、宮沢家というのは、花巻銀行や花巻温泉の設立にも関わっていたとも言われ、花巻において相当な名家で大富豪であったことがわかってきます。また一方で、東北地方でドシと呼ばれた遺伝的な病気を持っている一族とも陰で言われていたようなことも書かれていました。いずれにせよ、相当な経済力があったことは間違いないのです。

ちなみに、賢治が25歳の時に家出をしたことが新聞記事になったそうで、一青年の家出が記事になるほど有名な家系であったということになるんでしょう。

宮沢賢治は信仰面で父親に反抗し改宗をせまり、家業に対しても否定的な態度であったにしろ、経済面ではその父親に依存しっぱなしであったことが、この本にはなんどか書かれてありそれが印象に残ります。賢治がどんなに質素であっても、農民がけっして口にすることができないような料理を食べることができる立場にあったとか、「春と修羅」は父親のお金で自費出版、「注文の多い料理店」は全く売れず父親のお金で買い取ったなどなど。著者の山下氏は、父親の庇護の元にあったことを書き連ねています。

賢治作品の豊饒さはどこからているのでしょうか?賢治は「こっくりさん」に夢中になったり催眠術師に弟子入りしたり不思議系に興味を持ったり、自身もたびたび不思議なものを見たりと霊感体質であったそうです。

また、触覚、聴覚、嗅覚、視覚、味覚といった五感のみならず第六感までが敏感で研ぎ澄まされ、おまけに共感覚(外部からの刺激に対し色や形は眼、音は耳というふうに別々の器官で認識されるのですが、一つの刺激に二つ以上の器官が反応し感覚が混同すること)の持ち主でもあったのでは、と。

そこに強度な法華経信仰がそうした曖昧模糊としたものを裏で支えていたんじゃないのか?と私の勝手な解釈ですが、そんなようなことを考えてみたわけです。

新書で入門 宮沢賢治のちから (新潮新書)

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