記憶が塗り替えられると別の人格になるのか?SF「トータル・リコール」
映画「トータル・リコール」(1990年)
■製作年:1990年
■監督:ポール・バーホーベン
■出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、他
別の記憶を植えつけることができるのか?それがテーマのフィリップ・K・ディックの「トータル・リコール」記憶というものは曖昧で、脳(自分)にとって都合のいいように記憶するとは、よく聞く話であります。過去の記憶に対してこのように感じていたのが、実はそうではなかったという記憶の曖昧さは指摘されるところ。人はわがままにできている?
この「トータル・リコール」では過去の記憶を消してしまい、別の体験の記憶を植えつけてしまうことにより、別の人間に仕立ててしまうという、とても危険な話です。記憶が変わると別の人間になってします。従事していない職業についていた、行った所のない場所に行ったことがある、結婚したことない女性と妻と思って生活している、卒業したことのない学校を卒業している・・・。
「純正な記憶を分析する方法ーによると、さまざまな記憶の細部は、当人でもくらいに驚く速く失われてしまうとされています。しかも、消えた記憶は永久に戻らない。それにひきかえ、わが社の提供するパッケージでは、意識の最深層に記憶が植えつけられるので、思い出はけっして薄れないのです。」
おそらくは記憶が書き換えられてしまうと、立ち振る舞いまで変わってしまうのだろう。フィリップ・K・ディックは「私とはいったい何者か?」という問いを投げかけています。アイデンティティの喪失、これまで私はかくかくしかじかという出自の、○○という名前のものという自分という存在を支えているものが喪失するわけだ。
ハイデガー流に言えば人は自分が存在している環境に縛られる世界内存在なんだが、ある日それは全く違う、環境が私という存在を認めてくれないとなると、その心の動揺はいかほどのものであろうか?そして、信じていたものが記憶を植えつけられたものであり、あるきっかけで、消されたはずの記憶のすべてが消された訳、はなく過去の記憶が復活したとしたら。
「その精神的混乱が、異常な幕あい劇につながるおそれもある。心のなかで、同時ふたつの対立する前提と向きあわなきゃならないですからね。つまり、火星に行ったというそれと、行かなかったというそれ。」
「この頭のなかにには、二通りの記憶が刻みつけられているんだ。いっぽうは現実、いっぽうは非現実。」
ところでシュワルツェネッガーが主演した映画「トータル・リコール」は、主人公が火星で何をしたのかを見つけにいく話を新たに加え、アクションシーンをふんだんに使ったSF映画となっています。
主人公を監視する妻を演じたのがシャロン・ストーン、端整な顔立ちで清潔感のある顔立ちの美人ですが、それとは逆の品のない悪どい女を演じています。そのギャップを出せる部分が彼女の魅力なのかもしれません。
※「」部分、「トータル・リコール」フィリップ・K・ディック(深町眞理子・訳)早川書房より引用