知られざるスキャンダルな詩人&映画監督パゾリーニ

四方田犬彦「知られざるパゾリーニ」講演

先週の3月3日(木)に開催された映画誌・比較文学研究家の四方田犬彦氏の「知られざるパゾリーニ」の全6回の連続公演の第1回目を聞きに行きました。四方田犬彦氏といえば、その世界では知らない人がいないという大家中の大家。実は初めて四方田氏の話を聞きました。(というのも私も四方田氏の講演を企画しているので)

さすがの四方田氏、実は満席となっており、キャンセル待ちの状態。もしキャンセルがあれば、ラッキーということで会場まで行き、運よく中に入ることができました。

テーマとなっているピエロ・パオロ・パゾリーニ。パゾリーニといえばスキャンダルなイメージが強いイタリアの映画監督。彼は何者かに殺害され、2022年の今年は生誕100年になるといいます。

第1回目の講義は「パゾリーニはどのような生涯を送ったのか」ということで年代順に彼の生涯を追っていきました。パゾリーニ自体が、映画史に残るような作品を作りながらも、難解でありあまり知られていないので、その生涯も知られていないのが現実。パゾリーニがブームになったのは1960~70年代のこと。

父はファシストの軍人であり、母は地元工場を経営する家の長女。イタリアではいろいろな言葉があるようで、パゾリーニはフリウリ語なる言葉をしゃべる家系に生まれた。この地域の言語について、詩を書いているので、そこへの思い入れは強い。飛び級でポローニャ大学に入ったので相当優秀だったのでしょう。

どうも家族の関係性はバラバラというか、ファシストの父はケニアの捕虜収容所に入れられており、パゾリーニ自身はコミュニスト。弟のグイドはパルチザンにはいりユーゴスラビアのコミュニストに処刑されてしまう。パゾリーニは教職につきながら母親と2人暮らしを続ける。

しかし、男子生徒にセクハラを起こしたとして大々的に新聞に書かれてしまい、いられなくなってしまいローマへと移り住むことになる。このセクハラ事件は、のちに裁判となるも証拠なしで、訴えた少年たちの言葉は嘘だったそうだ。

ローマに移ったパゾリーニはユダヤ人がいなくなってしまたゲットーに住む。そこで彼はベルトリッチという詩人に会いに行くののですが、その詩人の子供がのちの、映画監督となったベルナルト・ベルトリッチ。パゾリーニが詩人に会いに行ったわけですが、イタリアにおいての彼の評価は、まずは詩人、ついてに映画も撮った人ということのようです。パゾリーニは20世紀後半、イタリアを代表する大詩人であるということ。

そのパゾリーニ、映画関係は全くの無知でありながらも脚本を書くことになり、フェデリコ・フェリーニの「カビリアの夜」の脚本を手掛けています。やがて脚本がそのまま映像にならないことに不満を覚え、自らメガホンを取るようになり「アッカトーネ」を作りますが、映画の文法は部外者からの参入者ゆえにヘタクソでなっておらないも、最低の男を描きながらそこに流れる音楽は聖なる調べという、聖と俗の極点を混ぜた作品になっているそうです(私は未見)

ところで、パゾリーニが日本に紹介された映画の邦題が全くの内容を無視したタイトルがついていたようで、キリストを描いた有名な「奇跡の丘」は、「マタイ福音書」であり。「アポロンの地獄」は「オイディプス王」であり、四方田氏はこのいい加減なタイトルに文句を言ってました(笑)

パゾリーニは「奇跡の丘」で革命者としてのキリストを描きました。「私がキリストを描くのは、彼が共産主義者だから。あらゆるイタリア人はカトリックであり、つまり共産主義者である」と発言し物議を醸しだします。

その後、パゾリーニは「デカメロン」「カンタベリー物語」「千一夜物語」を撮り、その過激な性描写によりポルノの巨匠のように思われてしまい、自身が撮ったその映画を否定するようになります。そしてマルキ・ド・サドの小説をベースに倒錯したファシストを描いた「ソドムの市」を作ります。そして何者かにより殺されてしまうパゾリーニ。このイメージが、スキャンダルなパゾリーニということを決定づける。

実はパゾリーニは、「奇跡の丘」の続編の構想があり、12使徒のひとりパオロを描く予定だったそうです。彼とキリスト教の関係は、簡単には言うことができない大きな問題性がある。

ざっと四方田氏の話の展開はこのようなものでした。パゾリーニという芸術家の生涯。なかなか刺激的でかつ勉強になりました。四方田氏の語り口調もわかりやすく楽しかったです。残り5回も興味があるのですが、満席ゆえに残念ながら聞けないかもしれません・・・。

その四方田氏が翻訳した「パゾリーニ詩集」が販売されていましたので購入。帰路につきました。

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