不思議な“聖地”を特集した雑誌

毎号保存版?ともいえるハイセンスなトラベルカルチャー季刊誌「TRANSIT」、現在発売中の54号は「不思議で尊い世界の聖地へ」特集。表紙はエルサレムにあるイスラム教第3の聖地とされる「岩のドーム」。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がエルサレムに集中する世界で最もホットで、世界の縮図のようなホーリーランドがエルサレム。この地を巡り幾度となく争いも引き起こされた。

私がエルレサムに行った時も、イスラエルには女性も兵役があり、銃を持った女性兵士がいたのが物々しい感じがしましたし、熱心に嘆きの壁に祈るユダヤ教徒がとても印象的なのでした。この狭い空間に、実は源流は同じであり同一神を崇めている(ヤハウェ=ゴッド=アッラー)3つの流れが違う宗教が、それぞれの場所で祈りを捧げているのです。人々の祈りが絶えず世界中から人々が訪れる、まさにキング・オブ・聖地と言ってもいいところなのだと思います。

イスラエル・エルサレム、嘆きの壁にて

先日、岡本亮輔氏の「聖地巡礼」という本を読んだのですが、そこに近年の聖地巡礼には、宗教への信仰心は無縁の人々が足を運んでいるという現在の巡礼分析の内容だったのですが、そこにスペインのサンティアゴ巡礼の例が紹介されていました。

この「TRANSIT」にもサンティアゴ巡礼の記事が掲載されていて、それを読むと本来はカトリック教徒がその信仰のために聖ヤコブの聖遺物があるというサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂へと巡礼するための道が、プロセスにおける人々の相互互助への感動がメインの内容となっていました。以前、NHKで放送していたサンティアゴ巡礼のドキュメント番組も同じような内容だったので、上記の信仰の中心地であるエルサレムとは対照的な、岡本氏が言うような自己発見の旅としての聖地巡礼に変化していっていんだなと思います。

「TRANSIT」 にはその岡本氏のインタビュー記事も掲載されています。『仏教にしてもキリスト教にしても、数千年にわたって世の中に価値観のようなものを提供してきたのは事実です。だから価値観のサプライヤーとしてはものすごく経験があるし、事例の蓄積もある。そこは評価してしかるべきだと思います。』としたうえで、『この先もずっと「これが宗教でです」というような定義は生まれないと思います。キリスト教と仏教を比べても意味がないですし、そもそも比べるようなものじゃないんです。たとえていくならスポーツ、くらいの大きなカテゴリーです。乗馬とラクビーを同じ基準で比べることがないように、各宗教間には、そのくらい大きな違いがある。そのことに気づくべきなんです。』と含蓄ある言葉が。(『』部分「TRANSIT」54号から引用)

同じくこのブログでもその著書を紹介した宗教人類学者の植島啓司聖地とは?を取材した記事も掲載されています。それによると聖地の重要なポイントは「移動しない」ということなのだといいます。上記のエルサレムは、3大宗教の聖地が集まった場所ですが実は100以上の宗教の聖地だった痕跡があるというのです。いったいどんだけパワーがあるんじゃ?一方で世界の火薬庫といわれるイスラエル、その地にあるエルサレムという土地は計り知れないものがあるように思います。

それともう一つ「ケルトの自然に耳をすませて」という記事がありました。ケルトというキーワードには私も関心があり、『古代ケルトの自然とつながることは、この地球を守る、緑色の大きな愛に包まれることだったのかもしれない。自然の声に耳を傾けることは、これからを生きる自分へのガイダンスを受け取ることだった。』というテキストを読むにつけ、アイルランドにいつか行ってみたいと思うのでした・・・。 (『』部分「TRANSIT」54号から引用)

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