実存の叫びと太陽、ムンク
北欧の画家ムンクと言えば「叫び」が代表作で、ギャグになるほどよく知られた作品です。それだけインパクトがあり、様々な感じ方ができる絵、なんじゃ、こりゃ、と言いたくなるほど鮮烈であり強烈な色彩と人物表現。精神病理を解説した本にもこの「叫び」はよく引き合いに出されるくらい、不安に苛まれた人の精神状態を見事に表現した奇跡のような絵と言えるでしょう。だからこそこの「叫び」は、ネタとして笑うしかないという逆転現象を引き起こすのかもしれません。
この「叫び」は3段階の過程を経て完成されたそうです。最初は「絶望」というタイトルで欄干に立つ男は正面を向かず横顔だった。それがやや正面を向き始め、ただならぬ状態を示している様相をみせている作品となり、最後に正面を向きあの独特な表情をみせている「叫び」へと完成されていったというのです。この3段階の過程を見るとムンクの精神の運動が、絵を描くという方法により、熟成・凝縮されそれが普遍的なイメージへと結実していく様子を見ることができて面白いなと。
ところでこの「叫び」は何度か盗難事件にあっているようです。その一つを描いた「ムンクを追え 「叫び」奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日」エドワード・ドルニック著(光文社)というノンフィクションの本が出ています。
1994年2月、リレハンメル冬季オリンピックの開会式当日にオスロ市のノルウェー国立美術館からムンクの「叫び」が盗まれた。その絵がロンドン警視庁美術特捜班のチャーリー・ヒルの囮捜査によって奪還するまでを描いた本。それによると、美術館の壁に梯子を渡し窓ガラスを割って侵入、いとも簡単に世界的な名画がやすやすと盗まれてしまう、その安直さがなんとも言えない。
監視カメラには犯人の盗難の様子がが映っていたそうで、その間ガードマンは何も気づかない。「手薄な警備に感謝する」犯人のメッセージである。現実は小説より奇なり、ルパン三世顔負け。
少し古いのですがこの本によると、行方知らずとなった盗品を集めると、ちょっとした美術館顔負けのものになるというのです。たとえばこんなふうだ。ピカソ500点以上、ゴッホ40点以上、レンブラント170点以上、ルノワール200点以上、そうそうたる作家達の作品の所在がわからないそうだ。これ、金額換算したらそうとうなもんだ。
しかし驚きなのがあとがきに記載されたこと、著者が原稿脱稿した1ヶ月後、またもやムンクの「叫び」が盗まれた。(2004年に盗難あい、2年後に発見された)なんか、唖然とするばかりです。
ところで、ムンク=叫びというくらい、そのイメージが強いのですが、「生命のフリーズ」と呼ばれる一連の作品群があり、必ずしも「叫び」オンリーではないことがよくわかります。
このフリーズとは建築物などの帯状の装飾のことをさしており、ムンク自身、作品を一つのものだけではなく連続したカテゴリーの中で見てもらいたかったようです。アトリエにおいても自分の作品を何度も並び替え飾っていたそうです。
ムンクは38歳の時に、結婚を迫られた女性ともめている中で銃が暴発し、左手の中指を失う事件を引き起こしたそうです。その後、酒に溺れて44歳には精神錯乱によりデンマークの療養所に入院することに。しかし再生したムンクはそれまでの暗い作風から一変し光と色彩に満ちた絵を描くようになる。
ムンクのフリーズ作品の代表作とも言えるオスロ大学講堂に描かれた壁画があって、実物を見たことはないけれど、正面に太陽の力強い絵が描かれており、とても「叫び」を描いた本人の作品とは思えないほどエネルギーに溢れている感じを写真からでも受けることができるのです。つまり、実物となると、写真から感じる以上のパワーがあるということだ。その太陽を見て私はゴッホの太陽を想起させられた、それほど強烈な印象があるということ。ムンクは「叫び」だけでは片付けられない、実にすごい画家なのです。
そのムンクですが一人の画家に捧げられた美術館としては世界最大級の「ムンク美術館」が、2021年10月にノルウェーのオスロに開館したそうです。やっぱりただ者ではない人類史的にも傑出したアーティストなんだと思います。
画家が本の挿絵を描くことがあります。それは作家と画家の魂のコラボレーションと言えるでしょう。そうした文字の世界と絵の世界から醸し出される新たな世界を味わうのも私は好きです。フランスを代表する詩人ボードレール「悪の華」について、ムンクはその挿絵を描いた。しかし、それは出版されるこがなかったそうです。
「陽気な死人」
蝸牛でいっぱいの、よく肥えた土の中に、
私は自分で深い墓穴を掘りたいものだ、
そこに、悠々とわが古びた骨を横たえ、
波間にただよう鱶をさながら、
忘却の中に眠るために。
私は遺言を憎む、そして私は墓碑を憎む。
世の人の一滴の涙を乞うほどならばむしろ、
生きながら、鴉どもを招き寄せ、穢らわしい
わが?のあらゆる端を血まみれにつつかせよう。
おお蛆虫ども!耳もなく眼もない陰気なともがらよ、
見よ、お前らの方へ、自由で陽気な死人がやってくるのを。
悟りすました道楽者たち、腐敗物の息子らよ、
さあ悔いもなく、私の残骸の中を歩きまわれ、
そして、教えてくれたまえ、魂もない、死人の中の死人、
この古い身体にも、まだ何か責め苦を与えられるものかどうか!
「腐屍」
思い出したまえ、わが魂なるひとよ、かくも快い夏の朝、
私たちの見た物を。
とある小径の曲がりかど、散り敷く小石の寝床の上に
穢らわしい獣の腐屍が、
みだらな女のように、両足を宙にかがげて、
身を焦がし、毒の汗をにじませながら、
投げやりに、臆面もなく、悪臭に満ちた
腹をひらいて曝していた。
太陽はこの腐れ肉の上に燦々と照っていた、
この肉をほどよく焼こうと、
また、偉大な<自然>がまとめ上げたもののすべてを、
百倍にして返そうとするように。
そして天は、堂々たる死骸が花のように
咲きほこるのを眺めていた。
鼻をつく匂はあまりにも強く、草の上に
あなたは気絶せぬばかりだった。
蝿が唸りを立てて舞うこの腐敗した腹の中から、
真黒な隊伍をなして繰り出す
蛆虫どもは、この生命ある襤褸を伝って、
濃い液体のように流れていた。
それらすべてが、波のように、低くなり、高くなり、
またぱちぱちと音を立てて跳ね上がる。
言うならば、獏たる息吹を受けてふくらんだ身体が、
増殖しながら生きていたのだ。
そしてこの世界は異様な音楽を奏でていた、
流れる水や、風のように、
あるいは、穀物を簸る人が箕の中で、律動ある動きに、
揺り、回転させる、粒のように。
形はすべて消えてゆき、もはやただひとつの夢、
画布の上に忘れられて、
今は思い出のみをたよりに画家の仕上げる、
もどかしい下絵でしかなかった。
岩のうしろに、懸念顔の牝犬が一匹、
腹立たしげな目で私たちを見ていた、
口から落とした肉の片を、骸骨から取りもどす
折もあらばとうかがいながら。
―だがしかし、この汚物、おぞましい悪臭を放つ物に
似た姿とあなたもなるだろう、
わが眼に星と輝くひと、わが自然に陽と照るひとよ、
わが天使にして情熱となるあなたも!
そうとも!このようにあなたもなるだろう、おお優美さの
女王よ、
臨終の秘蹟も受け終わって、
肥え茂る草花の下に降りてゆき、堆みなす骨の間に、
あなたも黴びて腐るとき。
その時、おおわが美しきひとよ、接吻にあなたを蝕む
蛆虫どもに、伝えたまえ、
わが崩れはてた恋愛の、形と神聖なる本質とを
私は心にしかと留めたと。
(※「ボードレール全詩集」阿部良雄訳/ちくま文庫より引用)