19世紀末のイギリスは、唯美主義運動で感性を磨いた

1980年にイギリスで起こった唯美主義運動。産業革命後の大量生産に走る商業主義や実用性を目的とする功利主義を批判、『芸術のための芸術』を標語に、芸術は唯、美しくあればいいとするこの運動は、社会や政治に対するメッセージ性や道徳や教訓を伝えるものでもなく「美」そのものに価値を置く、いわば芸術至上主義とも言えるものだったようだ。

エドワード・バーン・ジョーンズ「ブローチ」(部分)

一方それは、生活水準が上がったであろう消費側の動きであり、同時期に生活の中に芸術をと唱えたウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」と微妙に似通っていると言えるのだけれども、視点の違いがあるそうだ。その違いは美術研究家では必要なんだろうけど、それらの過去の遺産を単純にパラパラとみるだけの私としては、あまり感じることができない?それでいいのだ。ただ、この唯美主義運動の第一人者が、オスカー・ワイルドなので、ウィリアム・モリスとの感覚の違いは何となく感じなくもないのですが・・・。

アルバート・ムーア「真夏」(部分)

いずれにせよ、このイギリスの唯美主義運動は、運動と名がつくも、それはメンバーを有し指針や目標などによるムーブメントではなく、出入り自由な理念や熱意が共有されたゆるやかな結びつきということらしい。そしてその流れは、より鋭敏な感性と世紀末という陰気な彩により「デカダンス」と呼ばれ、唯美主義は最後の輝きを見せることになったといいます。

オーブリー・ビアズリー「預言者ヨカナーンとサロメ」(部分)

美という点にスポットを当てたこのあたりの時代に生み出された作品の数々は、目に見えない感性という人間に与えられた能力の一つに訴えかけるもの。その独特な視覚的効果に触れると感性の扉が開いていく感覚を味わいます。だからと言ってそれが何らかの効果を生むものではない?エンターテイメントではない良質なヨーロッパ映画をみるような感覚に似ているのかもしれない。 資源がない日本はどうやって未来を紡いでいけばいいのか?アニメ一辺倒ではない、美の底力を築いていくことも大切なことだと思います

エドワード・バーン・ジョーンズ「皿・オルフェウスとミューズ」(部分)

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