縄文遺跡の上に成立している現代の東京

「東京に生きた縄文人」展(東京都江戸東京博物館)

アメリカ人のモースによって発見された大森貝塚、歴史の教科書に出てきたなあ。この縄文展覧会の一等最初に展示されていたのが、この大森貝塚から発見された土器や破片の数々。この出来事が日本の考古学の夜明けだった。1877年(明治10年)というから、最近のこととも言えそうです。

大森貝塚からの出土品

日本の縄文時代は世界史的には新石器時代に相当し、農業が発明され土器が生まれ、定住していったという流れがあるものの、日本では農業は未発達のまま定住していたそうだ。そして、ギリシャ文明の土器を博物館で見たことがありますが、比較にならないくらい縄文の土器は複雑な形状をしていて岡本太郎が絶賛したように美しいのでした。

多摩ニュータウンのヴィーナスと称される土偶

この「東京に生きた縄文人」展(12月5日まで)を見ていると、関東平野の至るところで縄文の集落があることがわかります。多分それは一部であり、今も土中に埋まっていて掘り起こされることがないであろう集落は多々あるんだろうなと思います。現代の東京人はまさに縄文遺跡の上に暮らしているというのが、その印象でした。

こんな集落が関東に一杯あった

縄文時代から数千年、外からの移入により血は混ざっていくものの、基本的に島国の日本はベースとして縄文を引きづっているのだともそれらの遺物を見ながら思います。

驚いたのは急須のような取っ手と注ぎ口がついた土器があったこと。それまで器のような、そして、用途がわかりづらい火焔土器のイメージが縄文時代にあったのですが、全く現代のヤカンや急須と変わらないじゃん、というのが目からウロコでした。思いの外、文化は発達していたのでは?というイメージです。

急須のような土器もあった驚き!

それと面白かったのが、江戸東京たてもの園における縄文住居を復元していく過程の映像。それを見ていると知恵や工夫を感じるし、通勤で通る渋谷の駅前は、今、大規模な再開発で高層ビル群の建築が進んでおり街が変化していっています。それを思うと、こうした住居がそこかしこに太古の昔に散在していたのかなと思うと人類の営みの長い歴史を想像させてくれて感慨深いなと思うのでした。

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