日出づる処の天子と書した彼は、来年没後1,400年になるそうだ

「聖徳太子 日出づる処の天子 」展(サントリー美術館) 

来年、令和4年は聖徳太子の没後1400年にあたり、100年に一度の節目を迎え、様々な記念事業や法会があるといいます。それで今年、東京国立博物館とサントリー美術館で聖徳太子展をやっているんだなと。東京国立博物館は法隆寺を中心に、サントリー美術館は四天王寺を中心とした展覧会だったので、二大ゆかりの地の大規模な展示を見たということになります。

何れの展覧会も行った訳だから、私自身、一人の人物をテーマにして、ここまでの多くのゆかりのものをこも一年において一度に見たのははじめてのことです。それだけ聖徳太子という人物への信仰が大きかったということでしょう。ある意味で聖徳太子は最もよく知られた日本人の一人、そして愛され続けた一人。日本で一番高い金額お札にもなっているし、建て替え前の最高裁判所の大法廷に太子の壁画が描かれていたというのですから、その伝承はすごい。

『日出づる処の天子、書を日没する処の天子致す、恙なきや、云々』というこの展覧会のタイトルにもなっている、有名な言葉、それが記載された「隋書」がまず、入口に展示されていて、ほんとにあったんだと思いました。この言葉で、隋の煬帝は『蛮夷の書、無礼あり』と不快感を示したそうですが。

それともっと有名な言葉『和をもって貴しとなす』、この日本文化の特徴とも言える聖徳太子が制定したとされる「十七条憲法」、この心得、規範と思える書も太子信仰の興隆によりたくさんの写本が作成されたといいます。

ちなみに私が経営する51コラボですが、陰陽の極地の数が8と9、それを足すと17になる。つまりこの世の摂理を表す数字として17は十七条憲法となり、さらにそこに天・地・人の3をかけることにより宇宙の理となり御成敗式目が17×3=51となり51条あったと言われます。51コラボ、実は思いっきり後付けなんですが、そんな意味を付加したりして・・・。

聖徳太子、特に関心があり注目してきた訳ではないですが、1400年のイベントの一環で、知らずにその世界に触れたということになりますね。日本に仏教が広がるきっかけを作った聖徳太子、そして、仏教の究極形態のひとつを広めた空海、いずれも超人的な二人ですが、東京国立博物館の展覧会でも見ましたが、聖徳太子と空海が並んだ絵が、この展覧会にもありました。

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