死んだらどうなるのか?哲学者による簡易な考察
「死んだらどうなるのか? 死生観をめぐる6つの哲学」伊佐敷隆弘(亜紀書房)
死んだら一体どうなるのか?この人にとっての大いなる謎は、古今東西において宗教や哲学をはじめ様々な考えを膨らませてきたし、未だ持って人類の最大の謎と言えるのではないでしょうか。
「死んだらどうなるのか? 死生観をめぐる6つの哲学」は、伊佐敷隆弘という哲学者が書いた本。哲学というと難解な問題を難解な言葉で語るというのが定番ですが、この本はそうではなく専門用語も少なく教師と生徒という対話形式でわかりやすく、さらに、思索しやすいように書かれています。
この本を読もうと思ったきっかけは、書店で「死」に関する本が何冊か平積みされており、今、死を考えることに注目されているのかな、と思ったからです。その中でも比較的分かりやすそうだったから。
この本では、死んだらどうなるのか?という論考に対して6つのパターンががあるとしています。
1.他の人間や動物に生まれ変わる
2.別の世界で永遠に生き続ける
3.すぐそばで子孫を見守る
4.子孫の命の中で生き続ける
5.自然の中に還る
6.完全に消滅する
本の構成では、日本人の死生観の源泉として、輪廻と往生という仏教的概念、子孫の中に生き続けるという儒教的概念、さらには山の上から見守るという祖霊信仰、キリスト教における天国と地獄という複数の死生観が積み重なっていると言います。
そして哲学的なアプローチとして魂の存在証明としてのデカルトの試み、自然科学と心の問題としての物心二元論、物質一元論、心は脳の機能なのか?もしロボットに脳のすべての情報を移植したらどうなるか?という未来的な問題で、哲学の永遠のテーマである心身問題へと切り込んでいき、<脳・神経・感覚器官・筋肉>と<周囲との環境>が一つのシステムとして構成したものが<心>であり、私の上にはさらに複数の上位システムが存在するという考え方などを論考していきます。
最終的には死は謎であるとしながらも、「人間は死ぬ」というのと「私は死ぬ」というのは実感として大きな差があり、<今>を喪失するのが「死」であり、<今>抜きでは生も死もありふれた出来事にすぎなくなるのでは?と。
【今・ここ】とはよく言われることなんだけど、それを意識することが死を意識するということなのだということを、凡庸ですが今更のように思うのです。私も60歳になり、父は60歳代後半で亡くなり母も今年、私の誕生日に他界しました。そんなこともあり私の残された人生というのを以前より意識するようになったのも事実。またコロナの時代になり、メディアでは今日の感染者は、死亡者数は・・・と毎日のように目にするようになり、私が生きてきた時代では、大規模な自然災害以外では、死に関する数字をここまで目にする時代はなかったように思います。