短歌に詠われた「喫茶ボンボン」のプリンが美味しくて・・・

先週、母の納骨で墓がある名古屋に行きました。その帰り道、短歌が好きな妻が永井陽子という名古屋に住んでいた夭逝の天才歌人がいて、活動していた場所に行ってみたいということで、その地に行ってみました。この辺りだろうと散策し、歩いて目にした場所が永井陽子氏が実際に「小さなバイオリンが欲しくて」という歌集で歌に詠んだ歌が収められています。

その永井陽子氏とはどんな歌人なのか? Wikipediaから経歴を引用してみました。

『愛知県瀬戸市城屋敷町に生まれ、1967年に愛知県立瀬戸高等学校入学。その頃より古典に強く心を惹かれ、作歌を開始。当時の学習雑誌の詩や歌の欄へ投稿。1969年には短歌結社「短歌人」へ入会して現代短歌を作り続ける。1970年に愛知県立女子短期大学(現・愛知県立大学)国文科入学。学内文芸同好会誌「轍」に参加。1971年、『太陽の朝餉』で角川短歌賞候補。1972年1月、短歌人新人賞受賞。同年3月短大卒業後、1974年4月より愛知県立芸術大学音楽学部勤務。1975年10月東洋大学国文学科に編入学し司書資格取得。1978年に『なよたけ拾遺』(短歌人会刊)で第4回現代歌人集会賞受賞。1980年9月に大学卒業後、11月に短歌人賞受賞。翌年4月より愛知県立図書館勤務。短歌人編集委員、現代歌人協会会員となった。1989年4月から2年間愛知県立女子短期大学非常勤講師。1994年4月から愛知芸術文化センター勤務。翌年3月退職。同年4月より愛知文教女子短期大学助教授[1]。7月に『てまり唄』(砂子屋書房)を刊行し、翌年第6回河野愛子賞受賞。1999年2月から40日間肝炎により入院し、10月から休職。2000年1月26日に死去。享年48。死因は公表されていないが自殺と記してある文献もある。』 (Wikipediaから引用)

永井氏は、若くして48歳で亡くなるまでの4年あまりを、今回散策した名古屋市東区の橦木町で暮らしたそうです。では、その歌と実際の風景を紹介します。

鍋屋町商店街の「鍋屋」といふ鍋屋でナベを買ふ日曜日

大きな大きな樟を目当てにたずね来よ来たらば呼べよ精のごとくに

べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊

BONBONの鳩どもは吾が行き帰る時刻を計り常に見おろす

ぶらっと散策した後、せっかくなのでということで、昭和レトロな喫茶店BONBON(ボンボン)に、入ってアイスコーヒーとプリンを注文。洋菓子店も併用しているので自家製というプリンは濃厚でした!

上記の詩が収められた歌集です

ちなみに二番目の詩に読まれた樟の木は、名古屋で有名な樹らしい。樹齢300年と言われ、国道41号線の拡張工事の時に切り倒されることになっていたが、地元住民の反対にあい、車道の真ん中にひょこりのこされている。つまり車は樟の木の両脇を走ることになる。この樟の木は御神木として敬愛されているのだろう。樹には注連縄が巻かれていました。

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