私の身体は私にとって未知の領域という意外な真理

「意識の皮膚」鷲田清一

国立新美術館の 「ファッション イン ジャパン 1945-2020 流行と社会」展 を見てきたわけですが、それに刺激を受けて「現代モード論」(北山晴一、酒井豊子) という古い本を手にしました。そして続けて、同じく本棚の奥にある「モードと身体」京都造形大学・編(角川書店)を取り出してきました。この本にはモードと身体というテーマで何人かの寄稿者がいるのですが、日本を代表する哲学者の一人、鷲田清一氏の論考が価値が転倒するようなものの見方を提示していて、2003年の本と20年近く前の本なのですが処分できずにいるのでした。

では、何が価値観が転倒するような見方なのか?というと、実際、言われてみればとなるほどねと気づくわけなのですが、我々の身体は常に加工されており、どの部位をとっても何の手も加えられず放置しているところはほとんどないという事実。頭のてっぺんから爪先まで、我々は自分の身体をいじくりまわしているわけです。

その身体をいじくる行為とは、以下を見ていくと確かに上から下までなんらかの手を加えているように思います。『傷つける、歪める、伸ばす、拡げる、圧す、擦る、潤す、塗る、削る、抜く、剃る、包む、被せる、覆う、孔を開ける、物を埋める、物をぶら下げる、物をぶら下げる・・・・・・。』女性がいろいろ装飾していく足し算の化粧なら、男性は頭だけだし髭を剃るというような引き算の化粧なのだと。

『まるで、じぶんには想いとまったく違う身体がまちがってあてがわれていると、神を呪うかのように。』と鷲田氏は書いていますが、まさしくそれぞれの各人が普段はまったく気づかず、心の奥深い無意識の部分で実は皆が感じているのではないだろうか?つまり人は、リアルには不在である理想の身体のモデルをどこかで抱き、そのモデルがその人の選択においてイニシアチブをもっている。

我々にとって自分の身体ほど遠いものはない。誰もが自分の身体はもっとも近くにあるものと思っているけど、実は意外とそうではないということが鷲田氏の論考を読んでいくとなるほどと思う。自分が思っているより、はるかに貧弱なのだ。自分の身体を見ることができる部分は限られているし、他人が認知してくれる顔は終生見ることができない。あるいは身体における病いや痛みは不意を襲うかたちで突然やってくる。さらにはその現象が何であるか正確に理解できないまま、病いや痛みの情況に対応しなくてはならない。私の身体は私自身にとって未知の領域であるという事実。

この発想というか、事実としてたしかにそうだといえる感覚のフレーズに出会った時には、心が震えるものを感じました。全くそうしたことを意識しないで生きてきたし、何の疑問も持っていなかったから。言われてみればおっしゃる通り。自分の身体こそ未知なものはないのです。

『見るにしろ、触れるにしろ、わたしたちはじぶんの身体に関しては常に部分的な経験しか可能ではないので、そういうばらばらの身体知覚は、あるひとつの想像的な「身体像」を繋ぎ目として相互に連結されることではじめて、あるまとまった身体として了解されるといえる。』

これらを踏まえて鷲田氏は、我々が抱いている〈像〉としての身体こそ、私にとっての最初の服なのだと。断片的にかつ分散している身体感覚をひとつのまとまりとして縫合した仮構物としての私の身体、この身体はあくまで<像>なんだと。そしてわれわれは常にイメージとしての身体に翻弄され人生を生きていくことになる。

ここで鷲田氏はこのように書いています。『身体こそが魂であって、魂という容れ物のなかを<わたし>は出入りする』肉体は魂の容器であるとはよく聞くフレーズなのですが、鷲田氏はそうではない表現をしています。ミシェル・セールの「五感」という書物を例に出し、意識はしばしば感覚のひだのなかに身を潜めていると。重なる唇と唇の間に、噛み合わせた歯と歯の間に、組み合った腿と腿の間に、皮膚も粘膜も自分自身の上に意識をもっている。意識は接触による特異な場の中にとどまっているのであり、肉体は自分自身に接しているのだといいます。つまり、接触の場に「魂」が誕生するのだというのです。『「魂」がさまざまな方向に移動し、飛び跳ね、たがいに交錯したり、重なりあったりすることで、わたしたちの存在が多様な感覚の交響体として描きだされる。』鷲田氏は<わたし>と<魂>をどうやらわけて考えているようなのですが、頭が回らない私は、<わたし>と<魂>の区分けがイマイチ理解できてないのですが、氏の発想、見方は時を経て今読み返しても、間違いなく逆転というか、価値を転倒させるインパクトがあるように思えてくるのです。

『皮膚が世界を見る、皮膚が世界を見る、皮膚が世界を聞く―わたしたちは身体のあらゆる部位、そのそれぞれの場所で世界を呼吸しているのだ。』

※『』の部分、「モードと身体」(角川書店)所収、「意識の皮膚」鷲田清一から引用

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