天城を越る途中に天女に出会う清張の小説
「天城越え」松本清張
松本清張の小説の中でもこれはいい作品だなあと感じるのが短編の「天城越え」である。もともと清張の作品は短編がおもしろいと思っていた。その短編の中でも特に「天城越え」は詩情に溢れ清張の短編の中でも傑出している作品だなと思う。まったく文章に無駄がないし、読後の余韻もいい。
「天城越え」は、冒頭で川端康成の有名な「伊豆の踊り子」の文章を引用し、その川端が書いた小説の主人公と清張が書いた主人公の比較をする。小説の舞台となる年代を大正15年とし、“天城”を川端の小説とは逆方向から越えさせるのだ。そして、川端の書いた主人公は二十歳の“高等学校の学生”に対して清張のそれは“十六才の鍛治屋の倅”となっていて、同じ“紺飛白”の着物を着ていながらも、“朴歯の高下駄”と“裸足”と身分・階級の違う主人公を持ってくる。
ここには川端康成への松本清張の挑戦のようにも読めるような痛烈なものを感じさせる。この意外な冒頭は、川端の名作に対して何が始まるのだろうかと期待の感情も呼び起こすことになり、一気にこの「天城越え」の世界に引き込まれてしまうのだ。
小説の主人公である十六歳の“私 ”は、修善寺で酌婦をしていた大塚ハナと出会う。酌婦とは料理屋という名目も貸座敷で売春をしている娼娼婦をさす。その際、娼婦は貸座敷の経営者に借金をしており、大塚ハナもその借金を踏み倒して足抜けしてきたところであった。
その出会いは、少年から大人への架け橋の途上にいる“私”は彼女に大人の女の色気を見る。清張はそこに仄かなエロスの香りを吹かせる。『すると、そのとき、修善寺の方角からひとりの女が歩いてくるのが目についた。その女が近在の農家の女でないことは服装ですぐに分った。その女は頭から手拭いをだらりとかぶっていた。着物は派手な縞の銘仙で、それを端折って、下から赤い蹴出しを出していた。その女はひどく急ぎ足だったが、妙なことに裸足であった。……女は私の横を通りすぎた。そのとき見たのだが、女の顔は白く、あざやかな赤い口紅を塗っていた。白粉のよい匂いが、やわらかい風といっしょに私の鼻にただよった』
まだまだこの年齢の青年にとってこの種の女性は非日常的であり、未知で神秘的な存在なのだ。ましてや家出をしてきた深い森の中での出会いは、彼にとってみれば大人へのイニシエーションのようなものに近いのではないだろうか。
しばらく青年はその女と道中を共にするのだが、その前にすれ違った無精髭を生やした大男の“土工”に追いつく。女は青年に先に行くように言う。女は男の元へ行く。女は男に体を提供しお金を稼ごうとしたのだ。
青年は一旦は先に進むも女の元へ引き返す。そして見てはいけないものを見てしまう。青年は女と男の睦事を最初はそれとは気づかず覗いたのだった。三十数年後、青年が大人となり印刷業を営み、仕事で静岡県警から依頼があった「刑事捜査参考資料」という本に“天城峠付近の藪の中で、被害者と媾合し、その代償として一円を貰った”と記載されていることでもあった。
十六歳の青年はその後、行動に出る。彼は、それ以前にもそうした行為を見たことがあった。『土工が女と何をしていたかおぼろげに察しがついていた。実は私がもっと小さいころ、母親が父でない他の男と、同じような行為をしていたのを見たことがある。私は、そのとき、それを思いだし、自分の女が土工に奪われたような気になったのだ。』
少なくとも青年は女に対して天女のように憧れを抱いたのだった。
映画「天城越え」(1983年)
■製作年:1983年
■監督:三村晴彦
■出演:田中裕子、渡瀬恒彦、平幹二朗、伊藤洋一、吉行和子、他
主人公の青年が兄を訪ねて家出をする。その行程の中で天城峠を越えようとするが、なんとも山道は奥深く所持金もほとんどない彼にとっては、そこかしこに霊気を感じ不安な気持ちを起こさせる。その時に出会った1人の女を巡る記憶の中の甘く切ない、しかし拭いきれない罪を背負ったまるで神話のような物語。この話はある意味で大人への通過儀礼の話でもあり、また悲しい殺人事件の話。
青年の前に現れる遊女を演じる田中裕子は、手ぬぐいを姉さんかぶりにして、気だるい色気を放ちながらまるで一枚の浮世絵のように登場する。白いてぬぐい、鮮やかな着物、しなやかな曲線、憂いのある瞳、その立ち姿が峠の山道の木々の深い緑と相俟って、なんともいえない女性の魅力を出している。そのスローモーションのような幻影的な映像が、思春期に芽生える女性への憧れをうまく表現していると感じた。
道中において草履で擦り切れた青年の足を遊女が手入れする場面があるが、手入れしながらさりげなく彼女の手が少年の股間へと延びていく。そんな年上の女性のいたずらな行為でも、少年からすればあまりにも刺激的だ。性的なるものとの遭遇、それにみられる少年心理の複雑さ。この天城峠の出来事の後、事件は発覚することになる。
殺人事件の容疑者として連行される遊女、どしゃぶりの雨の中で少年と女は再び出会います。びしょ濡れになって目と目が合う。「さようなら」とつぶやく女。このシーンは限りなく美しい場面として演出されています。ここで女性の心情をどう読み解くか?少なくとも青年にとっては観音菩薩の姿をそこに見たのではないか?そんな気にさせる演出が素晴らしいし、また、それを演じた田中裕子も素晴らしいと感じた。 清張の小説の行間に隠れた本質を見事に映像化した作品であった。