自分の美学に忠実に、かつ、自らの思想体現のために行動した作家
「文化防衛論」三島由紀夫
三島由紀夫の「文化防衛論」、この本には表題のもの以外に、大学で学生達とティーチ・インをしたものも含まれており、小説を読むのとは違ったダイレクトな彼の思想をみることができ興味深い。それによると(もしかしたら言葉の選択が違っているかもしれませんが)三島由紀夫は、文化概念としての天皇を頂点とする日本独自な民主的統治国家の在り方というものを理想としてしていたであろうことがわかります。
三島由紀夫が唱えた政治体制を思い描くことは私の頭のレベルではなかなか難しいのですが、その文章の中で【行動】という言葉が盛んにでてくることには気がつきます。
断片的、それもかなり断片的で僅かなかけらからしか私は三島由紀夫に触れることをしておりませんので、大きな勘違いをしているのかもしれませんが、彼の考え方が熟成され、待ってられないといった風に一つの方向に向かっていっているように感じてなりませんでした。
三島由紀夫が、自衛隊駐屯地へ向かい演説をぶち、日本刀で自らの命を断つという大胆な行動をとったのは、必要必然だったのかもしれません。しかしそんな彼の行動は50年以上も前のことであり、私もほんの子供でしたから、その時代の空気、その時代の三島由紀夫という男の位置づけもわかりようもありませんが。
しかし、「私がここへ立っていて非常に残念なのは、何ら危害が加えられる恐れがないことです。これが危害を加えられる恐れがあれば、もうちょっと私のいうことも説得力を持ってくる。ぼくは日本のインテリがそういう最後の信念がなくて物をいうというのが非常に嫌だ。大きなことをいうようだが、そういう気でもって私はこれからもやっていきたいと思うから。」と学生達を前にして発言する三島由紀夫は、ある種の覚悟を持っていたのだろうと想像するばかりです。
そう思いながら読んでいると、あとがきに「私はこれらの文章によって行動の決意を固め、固めつつ書き、書くことによっていよいよ固め、行動の端緒に就いてから、その裏付として書いていったということである。」と書いてありました。この本に収められた文章を書いていた時の三島由紀夫は、自ら民間防衛のために「楯の会」という組織を作り、その活動の最中であったということ。彼の起こす【行動】は熟成し、その後、三島は自衛隊駐屯地に向かうことになるのかと・・・。