肉体への憧憬、微細な視点の告白を描いた小説
「仮面の告白」三島由紀夫
三島由紀夫の小説について、私は正直、ほとんど接点がありませんでした。40年前の学生の時に読んであまり面白いと感じずに、2冊目までは手を出さなかった。もしかしたら途中で投げ出してしまったかもわからない。印象がなく読んだ本の題名も忘れてしまっている。覚えているのは三島由紀夫の小説のどれかを読んだことがあるということだけ。私とって三島由紀夫とは、大人になって知った自衛隊市ケ谷駐屯地に立て篭もり割腹自殺した小説家、その動機なども子供のころに起こったことなのでよくわからない…そんな程度なのでした。
今回、あらためて三島由紀夫の小説を読んで思うことは、夢中という感覚はないものの、私が第一印象で敬遠してしまった以上に彼の小説は面白かったと感じたことなのです。
この「仮面の告白」という作品は、主人公の一人称で語られる私小説の体裁をとっており、三島由紀夫自身の伝記的要素が強いと感じられるテイストになっているのですが、はたしてそれがどこまで創作による虚構で、どこまでが自分自身の吐露なのか、その境界は曖昧になっているように感じました。
登場人物は異性に対して性的な興味をなかなか覚えることができない、女性とデートしても肉体的な興味をそそらない、寧ろ同性のそれも男らしく汗くさい動物性が発露しているような野生のところに興味の矛先が向かってしまう。主人公の子供の頃から思春期に至るまでの同性の肉体に対する興味の記述が生々しく微細な点を逃さず捉えているので、そうか三島由紀夫は男色の傾向があるのかとも感じざる得ません。
しかし、彼がボディビルや武術で肉体を鍛え上げそれを鼓舞している有名な写真を見るにつけ、もしかしたら女性が憧れのモデルのファッションを真似ることに似ている感覚なのかも?と思えたりもするのです。
三島由紀夫は、少年時代人一倍ひ弱で病弱だったといわれていますから、一層男らしさというものに憧憬の念が強かったのかもしれません。全くの想像ですが、三島は鎧をつけるために知性を磨き、肉体を鍛え、武道に励み、強固な自我を固めていった、そんな風にも思えてきます。となると自己と自我の強弱、陰陽の降れ幅がかなり大きかったのだろうか?仮面の告白とは鎧の仮面?ともかくも、書店の文学批評のコーナーに行くと三島由紀夫に関する書籍は圧倒的に多く、語られ過ぎています。
ただ、そこに見られる<死>へのこだわり、憧れ、想いは半端ではなく、後々の展開を予告していたんじゃないのかと思えるほどなのですが…。うーん、難しい。三島由紀夫はどこか読むものを意図的に誤解させ錯乱させていく煙に巻くような戦略を持った作家だったのかなとも反転して思えるのでした。私にはよくはわからないのですが・・・。解釈は多々。ただ三島由紀夫が日本文学史において燦然と輝いていることだけは知っています。