青年に宿った「金閣寺」という幻想の絶対美が狂おしく心を乱していく小説

「金閣寺」三島由紀夫

小説家の平野啓一郎さんが三島由紀夫の小説「金閣寺」解説して、なるほどと頷きながら見ている今月の「100de名著」(NHK・Eテレ)。この番組は毎回、名著を深堀していくので楽しく見ています。

ところで私は40年以上前の学生時代、京都に下宿していました。金閣寺は歩いて行こうと思えばすぐ行ける場所でした。二十歳そこそこの私は寺社仏閣などには全く興味がなく、卒業まじかに慌てて見に行った記憶があります。

その時の印象は強烈で、金閣寺ってこんなにきれいなものだったのか、もっと早く行けばよかったと思ったのを覚えていますが、実際の金閣寺は焼失し再建されたものであったわけです。

で、三島由紀夫の「金閣寺」ですが、傑作としてその名をとどめている作品で、金閣寺の美しさに魅了された吃音でコンプレックスを持つ学生僧侶が、自身の内面にどんどん深化してゆき、やがて己の独自な理論で彼にとって魔性性を持つ金閣寺に火を放つまでの過程を描いています。

金閣寺に見いだした<美>という観念が一人の青年の心を狂わせていく。三島由紀夫は金閣寺を象徴的に絶対的な<美>なるものとしてとらえ、それにとことんこだわっています。

読んでいると金閣寺という存在は、観念的であり、繊細であり、絶対的に君臨していて、言葉に容易に表現できず、心に大きく影響を与える無言の力のようなものが見えてきます。

主人公の青年は若いので本来、性欲も盛んな年齢のはずなのですが、その性欲をも凌駕し萎えさせてしまう金閣寺の<美>の力。それはある種、尋常ならざる力であるとも思えます。

この観念的な存在にとりつかれた一人の人間を書いた三島由紀夫という男。私は三島由紀夫の生き様をよくは知りませんが、若い頃は病弱で運動音痴であったようでそのコンプレックスを克服するかのように、まるで鎧を纏うようにボディビルで肉体を鍛え、武道を習い、やがて自己の思想的発展から自衛隊にも体験入隊し、楯の会なる自衛組織をつくっていきます。

この「金閣寺」の主人公もコンプレックスを抱えこんだ青年であり、それは自己を鎧で固めていく過程の三島由紀夫にだぶってくるような気がします。そして、主人公に立ち塞がった金閣寺の<美>。そこには戦前と戦後の価値観の転換を生きた三島が右翼化へと走っていく三島にとっての天皇とは何だったのか?ということも見え隠れするような気がします。

小説では絶対的な存在である金閣寺に火を放ったのですが、三島は現実世界においては、自衛隊に侵入し割腹自害を遂げたという前代未聞の出来事を行いました。金閣寺と天皇、小説と現実、そんなことも想像してしまいます。

そして、もしかしたら三島は金閣寺そのものになりたかったのかも?などと邪推するのは、私の飛躍しすぎた穿った見方なのでしょうか。

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