「魂と肉体は中身と容器、器は壊れてもお茶はお茶のまま」ということを描いた映画
映画「リトル・ブッダ」(1993年)
巨匠ベルナルド・ベルトリッチ監督の「リトル・ブッダ」、1993年度の映画です。チベット仏教の輪廻転生を描いたもので、チベットから逃れてきてブータンにいる高僧がなくなり、弟子たちが生まれ変わりを探し始めます。その過程で3人候補が選ばれます。一人はネパールの少年、一人はネパールの少女、そしてもう一人はカナダの少年。
突然チベット仏教僧がカナダの少年の家に訪れるのですが、あなたの息子は高僧だった方の生まれ変わりです、と言われたらびっくりしますよね。見知らぬ外国の、それも宗教家が訪れて息子が異国の国の生まれ変わりなんだと言われても、言われたほうは「はっ?」となります。
戸惑う親は当然なのですが、わざわざ飛行機を乗り継いでというのが、逆に信ぴょう性を帯びてくる?仏教を理解していくなかで、キアヌ・リーブスが演じるブッダ=釈迦の悟りを得ていくまでの過程の話が、同時進行で進んでいきます。
全体に無理があるなーと感じながらも、舞台がネパールのボーダナートであったりとそこに行ったことがあるので、懐かしく見ることができました。
これはベルトリッチの理解による仏教映画であり、輪廻転生にスポットが当たりすぎ、やや教養映画みたいな感じになっていて、ベルトリッチ監督しては精彩を欠く作品だなあという印象。
ところどころに出てくる仏教の話が勉強になりました。
「悟りは道の真ん中にあるもの、極端と極端の間の中道にあるもの」
「弦は張りすぎると切れ、ゆるみすぎると音が出ない」
「魂と肉体は中身と容器、器は壊れてもお茶はお茶のまま」
ところで、チベット仏教には輪廻転生の考え方が色濃く反映されています。この世の肉体は、あくまで借り物、魂こそが本体であり解脱に至るまで何度も転生していく。そうした考えからは日本に伝わった大乗仏教にも見られるものですが、インドに近づくほどその考え方に近くなる。仏教成立以前のインドに根づいていた輪廻転生の思想。
それをあらわしているのが、インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」です、このバガヴァッド・ギーターを読むと、仏教的な概念ととても近いのがわかります。ヒンドゥー教の神々を取り入れてきているのが仏教ならば、この聖典の影響も大きく受けているのも仏教と言えそうです。そのバガヴァッド・ギーターは注目なんです。このギーターを読むと輪廻転生のことも当然書かれているし、いわゆるスピリチュアリティなものが全て詰まって凝縮し、そしてより鮮烈に書かれていると思うからです。