名作漫画「デビルマン」のラストを読み違えていた

永井豪の不朽の名作「デビルマン」。永井豪と言えば私が子供のころ「ハレンチ学園」という漫画が一世を風靡し、全国的にスカートめくりというのが子供たちに流行りました。PTAからはよろしくない漫画とレッテルを張られたものの、子供ながらにアナーキーな展開にドキドキしながら読んでいたものです。

その永井豪、エッチな漫画を描くというだけではなく、デビルマンという悪魔的存在を主役にした、これまた子供には刺激的すぎる漫画を描きました。少年誌に連載が始まったのは1972年のこと、私が11歳の時です。はじめてデビルマンを読んだ時の衝撃は今でも覚えています。冒頭に出てくる氷漬けの悪魔の話は、子供心にすごく納得した記憶がありますし、北極、南極の氷の下には何かあるに違いないという幻想ロマンは、たぶんこの時に植え付けられ、20歳の頃に見た映画「遊星からの物体X」によってそこはやっぱり未知の場所と思い、大人になり地球空洞説やシャンバラ伝説の場所への入口という話を知った時、なるほどなと。

強烈といえば子供心に残っているのが、飛鳥了不動明をデーモンと合体させるための描写です。地下空間の中で、当時であればディスコ、そこで麻薬や酒、音楽に半裸の男と女が踊り狂う。さながらサバトのよう。忘我の状態になるとデーモンと合体しやすくなるという。飛鳥了は割れたビール瓶で女性を傷つけ流血騒ぎを起こし狂乱の宴となる。そして恐怖で理性を失った主人公の不動明がアモンと合体する場面、その目が吊り上がり獣のようなハンターのようになり、前腕部がバキッと割れるのは人をはるかに超える超自然的パワーが宿ったというのを感じるに、子供の私にとっては十分すぎる表現でした。

そしてシレーヌという魅力的な悪魔キャラクターが生まれ、デビルマンとの戦いに勝った!と信じたまま立ちすくみ死んだその展開に、闘いの美学のようなものを感じましたし、そのシレーヌが女性であることにより一層エロスの幻想も刺激されたように思います。このデビルマンを読んでいる時は、キリスト教の聖書「ヨハネの黙示録」の存在も知りませんでしたし、悪魔のサタンが堕天使ルシファーであるということも全く知りませんでした。いや、そもそも「神」という概念さえ意識して生きていなかったように思います。

そして、飛鳥了が実はサタンであったことが明かされ、結末は飛鳥了=サタンと不動明=デビルマンの最終戦争へ。下半身がない不動明が描かれ、両性具有の天使の姿であるサタン(堕天使なので)が悲しみ不動明に寄り添う、あのラストシーン!二人の背後には光り輝く天使たちの姿があり二人を祝福しているように見える。当時はそのように感じていたのですが、実は、そうではなかったというのが数十年後にわかったのです。(以下、「完全保存版デビルマン大解剖」三栄書房を参考にしました)

光輝く天使たちは、二人を祝福する天使たちなどではなく、正体は「神」なのでした。これは全くそのラストを誤解していました。つまり、こういうことです。200万年前、神が創造した生物がデーモンになってしまい、すべてをに帰そうとしたのが始まりで、神により一方的に滅ぼされそうになったデーモンに対抗してサタンが立ち上がり神との戦いに勝利した。そこで次の神の襲撃に備え、デーモンらは自ら氷漬けになり冬眠した。

眠りから覚めたデーモンは、テリトリーを人間によって荒らされたため、デーモンが人間を襲撃することになった。デーモンと合体し人の心を持ったデビルマンは、人間側につくことになる。しかし、守るべき人間こそ実は悪魔なのではなかったのか?恐怖に落とされた人間たちは隠れた悪魔的な本性を剝き出しにして、悪魔狩りと称して残虐な殺し合いを始める。

悪魔の肉体を持ち、人の心を持つデビルマン。人間はその心を失ったとき人の姿のままの悪魔という構図。デビルマンにとって最愛の人、ヒロインの牧村美樹が殺されたとき、デビルマンは人間を守るためではなく、サタンとの最終決戦に臨む。

そしてラストシーン、光に包まれたのは神であり、すべてを無に帰すべく現れたということだったのです。そうなるとラストの意味合いが大きく変わります。二人を祝福するのではなく、二人とも破壊してしまい、無となるべく世界の一歩手前だったわけです。

核兵器という破壊力を持つに至った人間、その人間の中の悪魔性を暴いた「デビルマン」という傑作漫画。今、ロシアとウクライナで戦争が起こっており、世界が嫌な方向に向かっている気がします。政治的な、経済的な、パワーバランスの問題がその裏にあろうとも、人と人が殺し合うことになんの生産性もありません。ただただ悲しみと虚しさが残るのみ。「デビルマン」という漫画は古くなることなく、今なお警告を発しているのでした。

永井豪の「デビルマン」誕生の裏事情を描いた「激マン」という漫画を読むと、その永井豪が、いかにデビルマンにのめり込み、ある種の憑依状態で描いていたかがよくわかります。そして、少年漫画ゆえに表現に制約がかかったことに対して、そこをさらに突っ込んで描いたことにより、さらに深みをもった作品となったのです。歴史に残る作業をするときは、ハイテンションの異常状態、そこに生命エネルギーが注ぎ込まれたから、素晴らしい作品が生まれたんだろう・・・そんな気がします。

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