自然のサイクルに見る神々のダンス、現代魔女の考え方

「スパイラル・ダンス」スターホーク(訳:鏡リュウジ・北側達夫)ユリイカ1994年2月号所収

古本屋に行くとなにか面白いテーマを特集したものがないかなと「ユリイカ」を探してみたりします。そこで「魔女」をテーマとした1994年に発刊されたものがありました。それを見ていると現在を代表するウィッチのスターホークのテキストが抜粋掲載されていました。スターホークには「スパイラル・ダンス」という概念があるので、この「ユレイカ」を購入、スターホークのテキストを読んでみました。

『万物はエネルギーの渦、力の渦動、変転する海の潮流なのです。線的な時間の流れの中で様々な姿態の物体が存在しますが、その実体は、一時的に凝固して固形物の形態をとたエネルギーの場にすぎません。「個体」はやがて融解し、新たな姿態の、そして新たな意味を持った物体を再び構成することになるのです。

スターホークは三つの精神の概念を提示します。それは、①新自己(Younger Self)・・・無意識下の精神。感覚、感情、衝動、記憶イメージ、直感、知覚の拡散などの機能である右脳 ②語る自己(Talking Self)・・・通常の意識下における精神。言語的、分析的知覚の機能を持つ左脳 ③深層自己(Deep Self)・・・第三の自己として内奥の神性/究極の原形要素/時間・空間・物質を超越した霊。これは二重に重なり合った螺旋もしくは無限を示す記号で象徴されるのだといいます。そしてこの深層自己は、真自己と関連しており、語る自己とは直接的なつながりがないとし、自らの内奥の女神、神とコミュニケーションをはかるために絵画、詩、音楽、神話、儀式といった象徴を使うと。宗教的な真理は、まさにそれらによって表現されてきたわけです。

ところでスターホークは、万物のはじめ(神)は性はなく原始的統一体があったのみといううのですが、存在の基底に「産み出す」という女性性があったといいます。この神は空間のわい曲した鏡に自分の姿を写し身を見て、自分自身に恋をします。鏡の像は鏡から引き離され、生命を得ることになります。つまり自己に対する自己の愛は宇宙を創造する力なのだと。

そして、ウィッチクラフトはシャーマニズム的な宗教であり、エクスタシーに高い精神的価値を置いている。エクスタシーのプロセスが創造とスターホークは書いています。私はなぜ見えない世界、宗教的高揚、聖なるものといったことに関心が向くかと言うと、精神的なエクスタシーを求めているのでは?と若いころから漠然と思っていました。その精神的エクスタシーとは特に私は芸術的なものから感じていたのですが。

ところで男性性、女性性という概念がありますが、ウィッチクラフトでは男性の力と女性の力は「相違」を表象するものだが、本質的に相違点はない。つまり、逆に流れる同じ力としています。

『女性とは、生命を与える力ー出現の力、形を成すために世界に流れ込んでくるエネルギーの力であると考えらています。他方、男性は死の力です。しかしこれは否定的な意味あいはありません。見境のない創造に対してバランスを保つ制限の力、清算の力、無形への復帰の力なのです。生は死を産み、死は生を支え、進化と新たな生を可能にするーいずれも重なり合った原理といえましょう。この二つの力は大きなサイクルの一部を成し、相互に依存しているのです。

全存在物は、絶妙のバランスの波長を保ったこの二つの力の交流回路に支えられています。見境のない生の力は癌であり、制限のない死の力は戦争と大虐殺です。この二つの力が互いに抑えあう調和が生命を支え、四季の移り変わり、自然界の生態バランス及び誕生から円熟を経て衰退ー死ーそして再生に至る人間の一生といった完璧な軌道を実現しています。』

この「ユリイカ」に掲載されたスターホークの文章には具体的な定義がなされていないので、わからないのですが彼女の提唱する「スパイラス・ダンス」とは、このような生命のサイクル、自然のサイクルの神秘な秘密を指しているように思いました。

『永遠に変化し続けるこの世界では、女神と神のエロティックなダンスの光輝が万物の端々から見え隠れしています。そのリズムに乗っている我々は生命の驚異と神秘に胸をうたれるのです。』

『』の部分初め、「ユリイカ」1994年2月号に所収「スパイラル・ダンス」スターホーク(訳:鏡リュウジ、北川達夫)から引用

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