マリリンに首ったけ?・・・①

20世紀のアメリカ、その古き良き時代‟セックス・シンボル”として一世を風靡したマリリン・モンロー。モンローは私が生まれる前の時代に活躍した人です。しかし、その存在感は遥か下の世代の私にさえ、独特の魅力を感じさせてくれます。

マリリン・モンローはマスメディアがまさに発達していく時に登場し、メディアが生んだ虚像であり、カリスマでした。しかし、そのメディアにより彼女の人生は翻弄されたズタズタにされたのかもしれません。マリリン・モンローという稀有な女優を追っかけて見ました。

Cinema「七年目の浮気」(1955年)

■製作年:1955年
■監督:ビリー・ワイルダー
■出演:トム・イーウェル、マリリン・モンロー、他

マリリン・モンローといえば、地下鉄の通気孔からの風でスカートがフワッとまくれあがるあの映画史に残るシーンを思い出します。映画「七年目の浮気」の名場面です。

「七年目の浮気」は、同じくマリリンの「お熱いのはお好き」を監督した名匠ビリー・ワイルダーによるもので、なかなか上手くできた映画。

この映画で抜群に光っているのは、マリリンに翻弄される中年男性を演じたトム・イーウェル。彼の演技は素晴らしく、マリリンを見事に引き立てているだけでなく、演技が計算されつくしている。一つ一つの行為に無駄がない。まるでダンスを踊っているかのような流れで演技を見せてくれる。この「七年目の浮気」が名作とされるとするならば、彼の存在なくしてはありえなかったんじゃなないかと。

今から50年以上も前の映画だからとはいうものの、絶妙で洒落た台詞と展開が進む。監督の力量の確かさ。コメディ映画の教科書のような作品に仕上がっています。

妻子を持った男の、でもどこかでアバンチュールを楽しみたい、いやいやそれはいけないことだと別の声が・・・、モラルと欲望の葛藤?インターネットが発達し誰でも情報を発進できるようになり、アナーキーな感じがする現代に比べて、どこか牧歌的な感じさえします。ちなみに、スカートがまくれ上がるシーンの撮影風景を見て、夫の野球選手であったジョー・ディマジオが激怒し、2週間後に離婚することになったという。時代が違うんですね。

Cinema「お熱いのがお好き」(1959年)

■製作年:1959年
■監督:ビリー・ワイルダー
■出演:マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジャック・レモン、他

映画「お熱いのがお好き」の監督は上記「七年目の浮気」を監督した名匠ビリー・ワイルダー。モンローに絡んでくる役者としてトニー・カーティスにジャック・レモン。同時代として彼等の2人の存在をよくはしらなくても、名優としての名声はどこかで聞いたことがあります。ビリー・ワイルダーも面白いことに「麗しのサブリナ」でモンローと並ぶ伝説的女優オードリー・ペップバーンも撮っているので20世紀を代表する女優をフィルムに抑えているのです。

さすがビリー・ワイルダー、設定も面白いしテンポもいい。舞台は禁酒法の時代、ギャングは闇で酒を販売していた(映画の場合は葬儀屋が闇取引の温床に)。葬儀屋は見かけで実はキャバレーであり、隠語とともに酒が出されていた。そこのJAZZのビッグバンドの楽士としてトニー・カーティスとジャック・レモンが登場するのです。

このJAZZミュージシャン2人はひょんなことからギャング同士の抗争(聖バレンタインデーの大虐殺という実際の事件をモデルにしているとか)の現場に居合わせてしまい、殺人現場の目撃者としてギャングのから逃げなくてはならなくなります。そこで彼等はどうしたか?女装して女だけの楽団のミュージシャンとして潜り込むことになります。つまりトニー・カーティスとジャック・レモンは後半、女装の演技を見せている(映画がモノクロなのは女装の絵がグロテスクになってしまわないようにということかららしい)。

その楽団にいたのがセクシーでチャーミングなのだけど失敗も多い、少しできの悪いミュージシャン兼シンガーであるマリリン・モンロー演じる女性。どこかで金持ちの男とのロマンスを期待し待ち焦がれている芸人といういかにもモンロー的な役柄。マリリン・モンローといえば、この音楽と代名詞になっている、例の♪プップッピドゥ♪と「I want to be loved by you」を歌う場面があります。それが歌われたのが、この映画だったんですね。日本のコメディアンがマリリン・モンローの真似をするときに必ず流れるあの歌。彼女を象徴するような歌です。

さて、そのマリリンの最初の登場シーンは、これまた、いかにも彼女を象徴するモンロー・ウォークからでした。それを見たジャック・レモンの台詞は、「見ろよ。あの歩きっぷり。バネ入りだ。きっとモーター付きだな」(笑)

Cinema「モンキー・ビジネス」(1952年)

■製作年:1952年
■監督:ハワード・ホークス
■出演:ケイリー・グラント、ジンジャー・ロジャース、マリリン・モンロー、他

マリリン・モンローが出演している「モンキー・ビジネス」、監督は名匠ハワード・ホークス。話は製薬会社に勤める研究者(=ケイリー・グラント)が若返りの薬を開発?したことで繰り広げられるドタバタ・コメディ。ここで大活躍するのは実験用として飼われている猿。タイトルのモンキーとは猿のこと指しているのでした。主演の研究者はヒット商品を狙うべく新薬の開発を必死で試みるも、なかなか思うような薬を開発できません。

誰もいない実験室、檻から抜け出た実験用として飼われている猿くん、手当たり次第に目に入る薬の配合の元となる原液を混ぜてしまいます。その結果、偶然に生まれたのが、人を燥状態にさせる若返りの薬。つまり、猿くんがでたらめに調合したのが会社の起死回生を狙える新薬?だったということ。それを知らずに飲んだ研究者も、そしてその奥さんもまるで10代の時のような元気と気力を取り戻してしまいます。彼は勢いでその会社の社長秘書をしている女性(=マリリン・モンロー)とデートするという展開へ。

若返った研究者とデートする美人の社長の秘書という役でマリリン・モンローは出ているわけですが、どちらかというと、添え物的な役であまり彼女のよさが出ているという感じではありません。お人形的な扱いで存在感も希薄な感じがしました。逆に「あのピンナップ・ガールか」とか、「この偽ブロンドめ」などと呼ばれてしまう始末(そんな台詞があって現実のモンローを批判しているようにも聞こえてしまう錯覚も)で、ちょっと可哀相な感じもしました。

寧ろ見所は若返り過ぎて子供の精神にまでなってしまった研究者夫婦の描き方と演技です。腹を抱えて笑えました。マリリン・モンローお目当てでなければ見ないような映画ですが、意外とそこが面白かったです。

Book「アメリカでいちばん美しい人」(亀井俊介)

日本におけるマリリン・モンロー研究者の第一人者となると亀井俊介という人になるのだろう。略歴を見ると東京大学名誉教授の肩書もある。おまけに本の出版社は岩波書店。過去に亀井は岩波新書で同様のテーマの本を出している。マリリン・モンローを追っかけていくと、彼女がただのセクシー女優ではなかったことがよくわかる。

頭が弱くて白痴美の女優、わがまま千万で撮影には遅刻、スッポカシは日常的、著名な野球選手ジョー・ディマジオやアメリカを代表するアーサー・ミラーと結婚、ケネディ大統領の愛人でもあった。不幸な生い立ちと派手な男性遍歴、最後は自殺なのか他殺なのか謎を残しながら若くして夭折したセックス・シンボル。そんなイメージのマリリン・モンローは、実は一面的な見方でしかなく、『自己の解放を求め、人間的な自立を目指し、そのために苦闘して、美しい存在を証明した』人であったことを、この本で亀井はとくとくと書いている。本のタイトルにもなっているようにマリリン・モンローは<アメリカでいちばん美しい人>だったのだと…。

この本を読んでいるとマリリン・モンローに引き込まれていくのをヒシヒシと感じる。彼女がセックス・シンボルという枠組みを超えて<女神>の位置まで昇華していく過程を分析しているところを読むと感動的ですらある。彼女の姿は世界中に、ありとあらゆるものプリントされ、そこかしこで使われている。マリリンほどキャラクター化され、図像として使われた女性はそうはいない。マリリンは日本風に言えば菩薩になったということだろう。

本を読んでいてマリリンの以下のような発言に痺れた。『私はグラマーでセクシュアルだという重荷を負わされることは苦にはしません。しかしそれに不随するものが重荷になることはあります。私は、美(ビューティ)と女らしさ(フェミニティ)は年齢と関係なく、人工的に作り出すことのできないものであり、魅力(グラマー)はーその製造業者は嫌な顔をなさるでしょうけれどもー機械的に製造することのできないものだと思います。本当の魅力(グラマー)は、です。それは女らしさ(フェミニティ)によって生まれるのです。私は、セクシャアリティは自然で無意識なものである限り、心をひきつけると思います。私たちは有難いことに、みんなセクシャアルな創造物として生まれました。けれどもこの自然の贈り物を。大勢の人が軽蔑し押しつぶしているのは、情けないことです。芸術、真の芸術は、この贈り物から出来るのですー何もかもがです。』

※『』部分、「アメリカでいちばん美しい人<マリリン・モンローの文化史>」亀井俊介(岩波書店)から引用

Document「マリリン・モンロー 最後の告白」

■製作年:2008年
■監督:パトリック・ジュディ

マリリン・モンローは、精神分析医へ足繁く通っていた。彼女が死を向かえる直前の2年間は、ラルフ・グリーンソンという医者にかかっている。このドキュメンタリーは、モンローが死の直前までかかわっていたそのラルフ・グリーンソンという医者から見たマリリン・モンローという人物について迫ったもの。

撮影現場などで、モンローはよく遅刻し相手を待たせたことで知られています。彼女によると、待つという行為は私を愛しているからだ、待たせることで私は愛されているということを確認したかったのだというのです。モンローにとって愛とは待つということだった?モンローは<愛>に飢えていた。

「王様と踊り子」の撮影でイギリスに渡った時、精神分析の祖フロイトの娘のアンナの分析をモンローは受けたそうですが、そこでアンナは情緒不安定、性的接触への依存、孤独への恐怖、統合失調症による幻覚という診断をしたとありました。彼女の精神状態は非常に不安定であったということはそれにより容易に推測できます。

また、クラーク・ゲーブルと共演した「荒馬と女」はモノクロ映像で撮られたのですが、それはモンローの目が酒と薬で充血していたからだというエピソードも語られていました。そしてモンローは一時的に精神病院に入院することになり、退院後は行きずりの男と関係を持ったとも語られていました。心身ともにボロボロ状態の中で、彼女は異性からかりそめの癒しを求めたのでしょうか?思うに、他殺であれ自殺であれ、彼女は死の淵の直前まできていたに違いないのです。

しかし、どんなに悲惨な状態であろうと、マリリン・モンローは大衆の前、マスコミの前にその姿を現すと笑顔を絶やさなかった。たとえ流産しベッドで横たわりながら退院するときでも、モンローは笑顔で手を振っていたのですから。あまりにも極端な人生を生き、また、生き急いだマリリン・モンロー。彼女は世界の人々に夢を与えた。名前が活字になった数は、ケネディ大統領よりも多いと言われています。それは21世紀になっても抜かれていないと…。

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