マリリンに首ったけ?・・・③

ハッピー・バースデー・ディア・プレシデント♪とケネディ大統領の誕生日に歌った20世紀・アメリカのセクシー・シンボルのマリリン・モンロー。時代を経ても彼女の魅力、存在感は群を抜いていると思う。しかし、映画女優という虚像、偶像のシンボルでもあったモンローの心の中はどんなだったろうか?それは知る由もないない。早すぎる死は自殺?他殺?憶測を呼び、やがて現代の女神となっていく。

Cinema「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)

■製作年:1954年 
■監督:ウォルター・ラング 
■出演者:エセル・マーマン、ドナルド・オコナー、マリリン・モンロー、ダン・デイリー、ジョニー・レイ、ミッツィ・ゲイナー、他

「ショウほど素敵な商売はない」このフレーズは有名すぎるほど有名。マリリン・モンローは脇役の存在。メインはドナヒューという芸人一家の物語です。その一家を演じる役者らは、私は同時代ではないので、知らない顔ばかりなのですが、一流どころで固めているようです。とにかくそのパフォーマンスが素晴らしい。

映画は、これぞエンターテイメントの舞台と言わんばかりに、彼ら一家がパフォーマンスを見せるステージを、歌とダンスを中心としたショータイムの場面を、多く見せます。その極彩色で絢爛たる舞台パフォーマンスには全く目を奪われます。こうした華やかな映画を見ていると、アメリカはこの時、一番いい時代だったんだろうなあと想像します。

ところで、マリリン・モンローは、当然ながら芸達者なドナヒュー一家を演じた彼らと比べれば、ダンスなどの身体所作の部分をはじめ<芸>という部分では見劣りするでしょう。しかし、一方で<存在感>というか<引きつける輝き>という点においてマリリンは、いぶし銀の一流パフォーマーに対して全く見劣りしておりませんでした。寧ろ、彼らを包み込んでしまっています。

もし、いくつかの本や伝記的ドラマに語られているように、女優マリリン・モンローと素顔のノーマ・ジーンは全く別の存在であったとするならば、マリリンの演技力は相当なものを持っていたと見ることができると思いました。彼女のあの輝きは他の女優ではなかなか出せないと思います。マリリンは撮影にあたり、よくスタッフや共演者を待たせ困らせたといいますが、演ずべき<マリリン・モンロー>が神憑り的に降りてくるのに時間がかかったと考えるのはひいき目すぎるでしょうか?

Cinema「帰らざる河」(1954年)

■製作年:1954年
■監督:オットー・プレミンジャー
■出演:ロバート・ミッチャム、マリリン・モンロー、ロリー・カルホーン、他

マリリン・モンローが主演した西部劇「帰らざる河」、正直、私はあまり面白いとは思えないものでした。マリリンの役は、お馴染みの?という感がある西部の酒場で唄う歌手という設定。うらぶれた酒場で彼女が唄うシーンがあるのですが、ウエストがめちゃくちゃ細い。おそらくコルセットで無理矢理に締め付けているんでしょうね、あの細さは。よく演技ができたなというくらいです。

その他のマリリンはほとんどがジーンズ姿、それなりに着こなして似合っていないというわけではないのですが、私はどちらかというと、スカート姿の方が好きです。彼女のよさが出ているように思います。というか、この映画のマリリンの髪型がジーンズに似合わないのかもしれません。

ところで、この「帰らざる河」では無条件にネイティブ・アメリカン(=先住民)が悪者のように描かれています。マリリンら白人は彼等に襲撃されます。白人を襲撃するにはそれなりの理由があるはずなのです。そうした理由は描かずにあくまで白人の脅威として、不気味な存在として彼等は描かれているのです。その一方的な視点がどうも見ていて気になる点でありました。この映画は白人による白人のためのエンターテイメント映画となっていますね

Cinema「百万長者と結婚する方法」(1953年)

■製作年:1953年
■監督:ジーン・ネグレスコ
■出演:マリリン・モンロー、ローレン・バコール、ベティ・グレイブル、他

マリリン・モンロー、ローレン・バコール、ベティ・グレイブルの3人の女優がニューヨークのモデルに扮し、幸せになるには大金持ちと結婚せねばならないと考え、百万長者を射とめようとする。そのためには、まずは環境と最高級のマンション暮しをはじめるという、婚活ドタバタ・コメディ風な映画。

冒頭、オーケストラを映した映像とガーシュインを想起させるような音楽が流れるのですが、やたらその場面が長い。もう終わりかと思いながらまだ続く。その異常な長さに嫌な予感がしたのですが、それが本編に進むにあたり的中しました。

はっきり言って映画がつまらない。脚本もよくなければ、演出もよくない。正直、見ていて苦痛になってくる始末。この映画のタイトル、どこかで聞いたことがあるというか、私のイメージでは、わりと知られた映画のような気がしているのですが、こんなに駄作だったとは知りませんでした。

マリリン・モンローが出ているから何とか見通せた、言い過ぎですがそんな感じでした。第二次世界大戦中は100万ドルの脚線美と謳われたベティ・グレイブルも、ハンフリー・ボガードの奥さんであったローレン・バコールも、ド近眼のコミカルな役を演じたマリリン・モンローに食われてしまっている。二人ともそれなりのキャリアを持つ女優なんでしょうが、マリリンの存在感が大きかったということ、やっぱり彼女は別格なのだとこの映画を見て思いました。

Book「マリリン・モンロー論考」中田耕治・著(青弓社)

中田耕治という人が日本では初めてマリリン・モンローの評伝を書いたということになっているらしい。「栄光と孤独の女」と題されたタイトルからⅠページ目の書き出しが、引き付けられました。『マリリン・モンローはどこにも存在しない。彼女のすべては一種の虚像か、病的な熱にうかされた大衆の催眠状態による所産だった。このマリリン・モンローは、ハリウッドがあくことなく生み出すアメリカの白日夢にすぎない

……この若い女性は、自分が誰にも求められていないし、なにものにも属していないという感情にさいなまれていた。彼女はしばしば自分に対する疑い、女であることへの不条理な怖れ、不意に内部を押しつつむようにしてひろがってくる暗い罪悪感におそわれれる。ときには、すべて興味を失い、ひたすら孤独のなかに逃避するのだった。全世界にとって永遠なる女性というイメージの象徴となった瞬間から、こんどはその栄光と孤独の二つの極にさいなまれなければならない。

その乖離がはげしくなればなるほど、真実の自分と正確に一致することができなくなって、マリリン・モンローはひたすら一つの白日夢として存在しはじめる。しかし、このマリリン・モンローはどこにも存在しない。ただ、この人生において、もはやとり返しのつかないほど深く傷つけられてしまったという感情にさいなまれながら、あくまでわるびれずに生きた女、私たちはこのマリリン・モンローしか知らないのである。』

引用が長くなってしまったが、マリリン・モンローという一斉を風靡した女優の光と影。スクリーンで見るモンローの愛くるしくセクシーな振る舞いの影には想像を絶するほどの闇が被っていた。こんなふうに書くとありきたりで、全くつまらないなあと思いながらも、どうしてもそこの感情に捕らわれてしまうのでした。それだけ彼女の生涯は波乱に満ちており、活字で追ってみるだけででさえ強烈なインパクトがあり、大衆のセックス・シンボルというイメージ(=虚像)を担わされながらも、内実は不幸な生い立ちに端を発しているのか、とても傷つきやすく繊細な女性であり、あらかじめ決められた運命に翻弄されたというか、まるで神に選ばれたかのように時代を一気に駆け抜け時代を作った印象が強いのでした。

マリリン・モンローはもう半世紀以上も前に活躍した女優であります。彼女の死が衝撃であったといっても、私には実際、リアリティがない。自殺?他殺?陰謀?彼女の死を巡っていろいろあるようなのですが、そんなこと私にとっては、あまり関係がないのも事実。むしろ私が驚くのは、過去にこんなに存在感があった女優がいたということで、しかしその裏側にはとてつもない心の闇と葛藤などがあったらしいということだ。そしてそのアンビバレンツさが、さらに合体し揺るぎない絶対的なスターとして私自身においてイメージの神話化が始まってくるということなのです。

しかし、中田氏の冒頭の文章のように、彼女は間違いなく存在していないのです。それはもはや現代にとっては作品が一人歩きし架空のアニメキャラに近いような存在でありながらも、全くもって違う、別次元のミューズ、女神として天空に輝いているのですから…。

『いまの私は自分の仕事と、ほんとに信頼できる数人友だちのためだけに生きています。名声はいずれ去っていくでしょう。さようなら。名声よ。私はあなたを自分のものにしたんだわ。それが消え去っても、私はいつもそんなものは大したものではなかったと思ってきたのです。ともあれ、私にとって、少なくともそれは自分が経験したものでした。でも、それは私が生きる場所ではないのです。』

※『』部分、「マリリン・モンロー論考」中田耕治・著(青弓社)から引用

Document「マリリン・モンロー・ラストシーン」

1962年8月5日、マリリン・モンローは36歳の若さでこの世を去さった。彼女はベッドに俯せになり、両肩の下まで裸体を見せ、右手には電話の受話器を握って死んでいた。床には睡眠薬が散乱していたという。この時、彼女は新しい映画「女房は生きていた」の撮影中であった。この「マリリン・モンロー・ラストシーン」は、未完成となった映画の残っている撮影フィルムを紹介しながら彼女を回顧するというものでした。

その未完成の映画は、航空機事故で絶海の孤島で5年間生き延び戻ってきたら、夫は再婚してハネムーンに出ていてその旅先まで追いかけて…というコメディであったそうだ。共演者はディーン・マーチン、監督はジョージ・キューカー。モンローはやる気を見せてダイエットして撮影に臨んだといいます。しかし、この時彼女は心身の病気を患っており、撮影の遅刻、すっぽかしの連続で、33日間のうちセットに顔を出したのは12回。残されたフィルムは7分間しかない。そのフィルムには、子供や犬と戯れる映像や、全裸で泳ぐ映像があった。

モンローのわがままな行動はスタッフをピリピリさせた。モンロー不在のまま撮影は進められた。そこに追い撃ちをかけることになったのが、5月19日、彼女は無断でニューヨークに飛びケネディ大統領の誕生祝賀パーティに出席、あの有名な「ハッピー・バースデー」を歌うのでありました。このことが20世紀フォックスを激怒させ、モンローは解雇され損害賠償の訴えまでおこされてしまうことになる。

会社は代役を立てたが共演者のディーン・マーチンはそれを拒んだ。マリリンも復帰への運動をして、結局、ギャラを倍に引き上げて再契約となったが、不幸はその直後に襲い掛かってきた。マリリンの死は自殺とも他殺とも様々な説が流れることになった・・・。

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