瞑想で「今ここ」を意識すれば脳も活性化する

『脳と瞑想』 篠浦伸禎&プラユキ・ナラテボー(サンガ出版)

脳外科の最先端治療のひとつとして覚醒下手術というのがあります。それを初めて知った時は大変驚きました。

覚醒下手術とは、脳腫瘍の手術をする際に全身麻酔ではなく、局所麻酔と静脈からの麻酔薬で痛みを取り、腫瘍を摘出するところでは、完全に麻酔を切って手術を行うというもの。

つまり患者は意識がある状態、医者と会話しながら手術を行うのです。この方法は繊細な部位である脳に対して医者が、腫瘍を摘出する際に問題ない部分を傷つけないよう患者に確認しながら手術を行えるという利点があり、全身麻酔による脳の手術に比べて、術後の後遺症が極めて少ないという患者にとってもいい方法なのです。

その手術を紹介した映像を見たことがあるのですが、患者の頭蓋骨は手術により開いています。医師が手を動かしてみてとか、患者と会話しているのです。「腫瘍をとったからね」「ありがとうございます」なんて会話が脳の手術で交わされているので、ホントに驚いたわけです。そして後遺症のリスクがかなり少ないという点ですこれはとても重要な手術だなと感じました。

この本「脳と瞑想」の著者の一人、都立駒込病院脳外科の篠浦伸禎先生はその覚醒下手術の第一人者。篠浦先生は理論的な脳のあり方を語るだけでなく、脳外科手術という想像するだけでも大変な現場から得た知見を語るので説得力があります。

その篠浦医師が瞑想を重視しており、テーラワーダ仏教であるタイの僧侶プラユキ・ナラテボー氏との、脳と瞑想をテーマとした対談がこの本です。瞑想が脳にとってどう影響があるか、をジャンルを越えて語り合っています。

プラユキ僧侶が帰依するテーラワーダ仏教は、マインドフルネス瞑想の源流と言われているブッダの瞑想法に近い流れをくんだもの。つまり、プラユキ僧侶が仏教瞑想を明快に分かりやすく解説するのは、マインドフルネス瞑想について語っているということになります。

まず瞑想において、よく神秘体験をしたことにより覚醒したという人がいるのですが、それは勘違いであり、重要なのは瞑想により観察し「今ここ」を感じることが重要だということ。マインドフルネス瞑想の特徴は、メタ認知であり、あるがままの受容、包括的な把握であると。

ここで、仏教的瞑想は2つあり、1つは「サマタ瞑想」、それは他のものを意識からシャットアウトし、特定の瞑想対象だけを見つめていくもの、集中系であり能動的な行為。「止」です。

2つめは「ヴィッパサナー瞑想」で、あるがままの心身観察で、気づきであり観察していくこと。受動的であり「観」となる。この2つで「止観」となります。マインドフルネス瞑想はヴィッパサナー瞑想であり、その流れはテーラワーダ仏教に受け継がれています。なので源流はそこにあるということになります。

瞑想中、呼吸に意識を持っていきましょうというのですが、実際は、様々な思考が浮かび上がってきます。それが沸き上がってきたら、そこに気づいて、受けとめて、再び呼吸や手、足の気づきへと戻っていく。それを繰り返すことが瞑想なのだと。これにより、いったん記号化された世界を解体することができるといいます。それによりイキイキと感性を働かせて、知的にも冴えた状態で物事を考えていくことができるということ。

仏教には慈悲の概念というものがあります。慈(メッター)とは、衆生の苦しみ、幸せを与えようとする心のこと。悲(カルナー)とは、衆生の悩み、苦しみを取り除いてあげようとする心。

生きとし生けるものすべての苦しみを救っていこう、他者の苦しみは、そっくりそのまま自らの苦しみである、他者に対しては見守るという眼差しをもつ、それが慈悲であると。

まずはいったん、あるがままの自分の位置に移動し、今の自分を受けとめる。そこから智慧を働かせ慈悲の心で接していく。それが仏教的な瞑想をすることにより気づきの一歩とする、このように受け止めたのですが、仏教の深い教えを理解するとともに瞑想をうまく活用していくということが大切なのかな?そんな風に思いました。

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