「マスク」と言うフィクションの力を得たスーパーヒーロー
映画「バットマン ビギンズ」(2006年)
■製作年:2005年
■監督:クリストファー・ノーラン
■出演:クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、他
巷では「鬼滅の刃」がスーパーヒットしているのですが、その前の秋には映画「TENET テネット」が超難解と言われながら小ヒットしました。そこで私も「 TENET テネット」を見ましたが、1回見ただけではわからない、超難しい映画でした。それは様々な前提を覆すような映画。 監督は今最も注目すべき映像作家と言われるクリストファー・ノーラン。そのノーランによるハリウッド進出作が「バットマン ビギンズ」。ということで、「バットマン・ビギンズ」を見たのですが、ついでに、思想で読む映画論としてトッド・マアガンと言う方による「クリストファー・ノーランの嘘」(フィルムアート社刊)という本が出ているので、そのテキストに従った形でこの記事を書いていこうと思います。
そのマアガン氏によると、この「バットマン ビギンズ」におけるバットマンはスーパーマンのような超人的能力を持つスーパーヒーローではなく、人間に近い存在であると。彼はヒーローの立場に身を置いた「常人」にすぎないことを、映画の多くの時間を割いて描いている。
バットマンはその腕前(肉体的、精神的)を磨くため?にヒマラヤにおいて修行を積み、彼のバックボーンとなる有り余る資産と技術力をベースにて、バットマンという「マスク」をかぶることにより「フィクション」の力を得ることになる。
その際、ほとんどのスーパーヒーロー映画は観客をヒーローから遠ざけ、法の欠陥の完璧な他者として、その隙間を埋める構図を持っているが、ノーランのバットマンは、観客を法の欠陥の内側に置き、バットマンとともに社会的秩序の隙間の中に身を置くことになるという。
そしてバットマンは「マスク」を身に付けフィクション性を手にいれる。フィクションは常人にかけている変革する力が備わっているため、そこから生まれる崇高なイメージによって、人を動かす力をも持っている。
犯罪者の幾多の策略や腐敗と闘うために、人は、フィクションとしての虚偽を採用することになる。人は真実によってもみでは達成できないことを嘘=フィクションによって達成することができるのだ。なぜなら嘘=フィクションは状況の前提条件から逸脱し、思いもよらない可能性を導きいれるからだ。
以上がマアガン氏のおおよろの論旨となります。本には難しい言葉が並んでいて読むのが大変でした(笑) 要は簡単に言うと、普通の人間がマスクをかぶることにより、フィクションとしての存在となり、その力を背景に犯罪者と闘う。そのフィクションは、主人公を変えていく力もあるし、それを見る観客にとっても共感を得ていくことになるということなんだろう思います。
【『バットマン ビギンズ』が明らかにするのは、フィクションによる歪曲によって、それ以前に存在していなかった真実が生み出されるということである。人は、フィクションに身を投じることで、それ以前の自分とは異なる別の自分になる。フィクションには、そのフィクションに遭遇した人たちだけでなく、そのフィクションを維持した当の本人をも変革する力があるのである。ノーランの映画は、バットマンのフィクション性を強調することによって、バットマンの立場を観客にとって接近可能なものにしている。】(以上、トッド・マアガン著「クリストファー・ノーランの嘘」フィルムアート社刊から引用)
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