ビバ、フェリーニ!老いの境地の素敵なダンスと別れに目に浮べる涙が愛おしい
映画「ジンジャーとフレッド)(1985年)
■製作年:1985年
■監督:フェデリコ・フェリーニ
■出演:マルチェロ・マストロヤンニ、ジュリエッタ・マシーナ、他
フェデリコ・フェリーニ監督の映画「ジンジャーとフレッド」はあらためて観ると、予想外に泣ける映画だったのでした。この映画は公開時に映画館で観ているのですが、正直、泣けるとまではいかないものでした。が、今回「ジンジャーとフレッド」を観なおしてみたら、これが泣けてしょうがない作品だったのです。
それは自分自身が歳を重ねてきて、若くはないという年齢になり、微妙な人生の機敏というものを感じ、あるいは、感じとれるようになったことからくるのかもしれません。
主人公のマルチェロ・マストロヤンニとジュリアッタ・マシーナ演じる役は、アメリカのミュージカルダンサーのジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのモノマネ芸人のアメーリアとピッポ。彼らは老いの境地にあり、世間とのズレを感じながら、話題となっているテレビの生放送というハレの舞台で今一度、自分達の芸を披露することができる、そのなかでの悲喜こもごもを描いた映画なのです。
また別の側面からは、コロナ禍においてマスコミの煽動を感じ、あらためてテレビの力というのと恐ろしさを感じているという流れもあります。というのは、この「ジンジャーとフレッド」は強烈なテレビ批判をしており、視聴率が取れればいい、刹那的に面白ければいいという、そのスタンスを皮肉って、かつ、グロテスクにデェフォルメして見せているからです。
その現代メディアのシステムの中に投げ込まれた二人のモノマネ老芸人の毅然とした姿、特にジュリアッタ・マシーナが演じた老女性は、素晴らしいなと私は始終、彼女が醸し出す演技に感心していたからです。
一方のマルチェロ・マシトロヤンニ、天下の二枚目も頭が薄くなり、造作も鈍くなっている、役柄ではいつも軽く一杯引っかけ戯言の多い老芸人を演じ哀愁と愛嬌が同居しています。
こうした、今だけ、ここだけ、私だけという刹那的な現代エンターテイメントの世界の中に放り込まれ、テレビのスポットライトが当たり、不平不満はありながら、俺たちは確かな技を持った芸人なのだ、きっちりやろうというその気持ち。
しかし、やはり若くはないということでダンスの途中で足がもつれ、転んでしまうマルチェロ。気を取り直して、と思った矢先の停電。暗闇の中、もう帰ろうという二人。この過程の会話が絶妙であり、泣かせるのです。
で、這いつくばってステージを降りようとした時に、停電が復旧。スポットライトが当たり、再び踊り出す二人。拍手の渦。達成感の中サインも求められる・・・。
騒がしかった1日が終わり帰途につく時の別れが、切なく、マルチェロの目にうっすら浮かんだ涙に思わずもらい泣きしてしまったのです。生きていくこと、フェリーニの愛がそこには見てとれたのでした。
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