Go to 将門! 魔界?平将門ゆかりの地を散策したこと

見切り発車のドタバタGo to トラベル、一方で、テレビではコロナの第2波の前兆か?医療体制は大丈夫か?様々な情報が飛び交い、先行き不安の日本、先日、経済アナリストの塚沢健治氏は様々な経済指標で戦時経済と似ていると話をしていました。とにかく全体が疲弊をしている感は否めない。

ということで、世にならい私も連休は行動を自粛ということで、続き思い出の中のGo to travel、先日の安倍晴明ゆかりの地に続き、大怨霊にして関東の守護神・平将門のゆかりの地に行ったことをまとめました。もう10年近く前のことなので、景色は変わっているかもしれませんが・・・。

平将門魔方陣を行く

平将門と言えば、大手町の将門の首塚にまつわる都市伝説が有名、しかし圧倒的な存在感を見せたのは荒俣宏氏の小説「帝都物語」でした。陰陽師が暗躍し将門を復活させる物語、映画にもなり将門という関東の地には欠かせない霊的な存在を知ったのでした。

そして目からウロコだったのが加門七海氏の「平将門魔方陣」でした。これには驚きました。つまり関東最大の怨霊にして守護神でもある平将門、加門氏によると江戸幕府はその霊的な防衛を完全なものにするために将門ゆかりの地を、彼が信仰していた妙見信仰に基づき北斗七星の形で結界を張って祀っていた可能性があるというのでした。しかし、明治政府は家康が作った結界をよしとせず、山手線を巡らすことで北斗七星の結界を断ち切ったというのです。そこには裏の裏が書かれているので、興味を持たれた方はぜひ「平将門魔方陣」を読まれたらと思いますが、作家の想像力とフィールドワークにより論旨が展開されていくのは、面白いですよ。

ちなみに、「東京&京都 魔界地図 完全ガイド」という発売中のムック本にも北斗七星の結界について少しだけ触れられている部分がありました。

北斗七星に並ぶ平将門ゆかりの神社(ただし新宿の鬼王神社はありません)
(1)東京・鎧神社

鎧神社のHPによると、2つの伝説があるようです。ひとつは、平将門が俵藤太によって討たれると、この地の人々はその死を悼み将門の鎧を埋めたと言われています。もうひとつは、平将門を討った後、重病となった俵藤太が崇りであると恐れ将門の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ 病気がたちまち治ったと言われます。祭神には、その平将門の名も連ねています。

(2)東京・水稲荷神社

平将門の調伏に関わる神社。 ここの稲荷神の神託によって源経基が平将門の謀反を朝廷に伝えそれがきっかけで将門は滅んだともいわれているそうです。加門氏によると鎧神社は胴にあたり、水稲荷神社を除く神社は首にまつわるので、この将門調伏にあたる神社は北斗の上で切っていたという・・・。

(3)東京・築土八幡神社 (津久戸大明神)

築土八幡神社は正しくは平将門に関連する跡地ではないと。江戸時代までこの隣にあった「津久戸大明神」が将門の霊を祀った場所であると言います。当初は血首明神と呼ばれたのが津久戸になったとも? しかしその明神は原存しておらず、九段にある築土神社になり移動しているそうだ。しかし、この築土八幡神社に、津久戸大明神の名前で地主神として合祀されている。

(4)東京・神田明神

江戸の総鎮守としての神田明神。そもそもは奈良時代に創建。平将門の死後、土地に住む民衆は将門の祟りを恐れていた。そこへ真教上人なる僧が、将門に「蓮阿弥陀仏」という戒名を送贈し卒塔婆を立てて神田山日輪寺で供養した。さらに真教はそばにあった神田明神に将門の霊を合わせて祀ったのが始まりといいます。徳川家康は関ケ原の戦いの前に神田明神に戦勝祈願したとか。

(5)東京・将門首塚

平将門の都市伝説が残る最もポピュラーな場所がこの首塚です。平将門が反乱を起こし、俵藤太&平貞盛の連合軍に打たれたとき、その首は今日でさらし首となりました。しかし、将門の首は夜な夜な目を開き叫び声をあげ、3日後、その首は胴体を求め関東へ飛び去ったと言われ、その首がこの大手町辺りに落ちたという伝説があり、土地の人は祟りを恐れて塚を築き埋葬したと言われています。

以来ここには数々の伝説が伝えられており、たとえば関東大震災の後、大蔵省の仮庁舎建設のために首塚を取り壊そうとしたら火事や事故が多発。戦後もGHQが壊そうとしたときも作業員が事故死するなどして祟りとしておそれられた。あるいは、この首塚に隣接するビルで働く人たちは将門に尻を向けないような配置になっているという都市伝説がある。

(6)東京・兜神社

東京証券取引所のすぐそばにあるのが兜神社。平将門が打たれたときに、その祟りを恐れて将門の体をバラバラにしたといいます。その際、ここに兜を埋めたという伝説があります。ちなみに兜町の地名の由来もそこからくるとか・・・。それ以外にも、源義家が自分の兜をかけて先勝祈願したからという話もあり、実は諸説あるようですが。

(7)東京・鳥越神社

鳥越神社の由井世にはないけれど平将門が京都でさらし首になった時、将門の首が東の方向に空を飛んで行ったとき、その首が飛び越していったので「飛び越え=鳥越」という地名になり、この社名となったという説もあるとか。また、祟りを恐れて将門の体はバラバラにされ各地に埋められたが、この鳥越神社には手が埋められているという話もあるそうだ。

(8)東京・鬼王神社

神社の由緒には平将門の名前はみあたらないが、将門の霊を祀ると言われ神社の名前は将門の幼名「鬼王丸」から取っているということなのだそうです。ここでは節分の時、鬼を悪者としないで 「鬼は内、福は内」とまくとか・・・。 加門氏によると北斗の柄の側に輝いている星を北斗第六星の補星とみなし、これを魔多羅神(妙見菩薩の化身)として解釈する説があるそうです。

(9)千葉市・七天王塚

千葉大学医学部周辺には、平将門ゆかりの七天王塚があります。そこには七つの塚があり北斗七星をかたどって並んでいる。それは将門の子孫である千葉氏が妙見菩薩の加護を得るためにこの塚を築いたとか、将門の周辺にいたという七人の影武者、あるいは、将門と六人の影武者を祀っているという伝説もあるそうです。この塚ですが、バス停近くにあったりいくつかは千葉大学の構内にもあるのです。

加門氏の推理によると。江戸幕府は平将門を江戸の守護とするために、明見の加護を期待して、怨霊としての将門をいったん封じ、封じたままで祀り上げ、その霊的なパワーの強さをご利益としたのではないか?と論旨を進めています。

各地に散在する平将門ゆかりの地を回ったこと

(1)茨木県坂東市・國王神社

平将門と俵藤太&平貞盛の連合軍との闘いの時、矢があたって将門が絶命した終焉の地といわれる場所に立っているそうです。 その後、将門の三女・如蔵尼がこの地に神社を建てたという言い伝えがあります。将門の乱から1000年、國王神社はこの地にあるということになります。神社の名前が國王とはすごいですね。

(2)茨木県坂東市・胴塚

茨木県坂東市の「神田山 如意輪寺 延命院」には、平将門の胴を埋めたという胴塚があります。一説には地名の神田山は、「からだ」がなまってそうなったという説もあるようです。ちなみに東京の首塚は、京都から将門の首が飛んで落ちた場所、こちらの胴塚は将門の弟や家来が密かに葬ったと言われています。

(3)茨木県守谷市・海禅寺

守谷市にある海禅寺は臨済の禅寺です。 平将門が父の菩提を弔うために建てた寺ともいわれているそうです。 海禅寺のわきには、平将門と七人の影武者の塚があり、全部で八個並んで建っています。将門にいたという有名な7人の影武者とは妙見信仰の由来なのでしょうか?ちなみにこのお寺のご本尊の地蔵菩薩は、國王神社を建てた将門の娘・如蔵尼の持仏であったと伝えられています。

(4)茨木県取手市・桔梗塚

桔梗という女性は、平将門の愛妾で俵藤太が送り込んだスパイだったという話もある女性で、将門が討たれたと聞き、現在の塚の前まで逃げて来ましたが、追手につかまりここで殺されたと伝えられています。

(5)茨木県常総市・西福寺

平将門の供養碑があります。江戸時代、ある旗本がこの碑を持ち去ろうとしたところ、夜中に炎を噴出し、恐れて逃げ帰ったことから「炎石」と呼ばれているそうです。

(6)千葉県佐倉市・将門神社と桔梗塚

平将門は親王を名乗り、逆賊扱いを受けましたが、地元の民衆には人気があったようで死後、坂東の英雄として追慕する声により将門神社が建てられたそうです。近くにある、桔梗は上記の書いたように、平将門の愛妾と言われています。いろいろな言い伝えがあるようですが、俵藤太のスパイで、将門を討つときに手ほどきをしたという話があり、将門の怨霊によって、この将門の地の桔梗は花を咲かせないと言われているようです。

(7)岐阜県大垣市・御首神社

平将門が俵藤太&平貞盛の連合軍に敗れ、その首が京都にさらし首になった。将門の首は関東へめがけて飛んで落ちた場所が、東京の首塚と言われていますが、別の場所には違う伝説があります。この大垣の地では、東に飛んでいく将門の首を射落とした話があります。その際、矢が飛んで行った道筋が矢が通った道として矢通道という地名が付いています。で、再びその首が関東に戻らぬよう、その怒りを鎮め霊を慰めるために創建されたのが、
御首神社であると伝えられているようです。

(8)京都市・将門神田明神

京都市四条烏丸から脇にそれ民家が並ぶ所にひっそりとあります。ここは平将門がさらし首になった場所ということ。高僧の空也上人が将門の祟りを鎮めるために祠を作ったと言われているそうです。

(9)京都市・将門岩

比叡山の植物園であるガーデンミュージアム比叡には、平将門が関東の地で反乱を起こした同じ頃、藤原純友が四国で反乱を起こし、この2つを承平・天慶の乱と呼びます。何れも若き日、京で朝廷に使えていた時期が将門あり、二人は比叡山に登り、都を眺めながら野望を語り合ったという伝説のある岩があります。

(10)東京都・将門神社

奥多摩の青梅の奥、鳩ノ巣にある平将門を奉った将門神社。生き残った将門一族が奥多摩へと移住しこの地で子孫が繁栄したという言い伝えもあるそうで、奥多摩には将門にちなんだ地名があるといいます。

(11)東京都・神田日輪寺

現在の大手町にあたる場所に、戦死した平将門の墳墓が築かれたが、後に荒廃し将門の亡霊が村民を悩ませたが、真教上人が丁寧に供養し、その霊魂を神田明神に祀ったところ、村には平和がたちまち戻ったそうな・・・。江戸時代の神田明神祭では、日輪寺の僧侶が読経してから神輿を出したそうで神田明神と縁が深いということになります。

その他、平将門について

(1)茨木県坂東市・将門蕎麦と将門煎餅

坂東市に将門関連の史跡を見に行った時に見かけたお蕎麦屋さんとお煎餅屋さん。

(2)歌舞伎「忍夜恋曲者 将門 」

この平将門は歌舞伎にもなっています。演目は「忍夜恋曲者 将門(しのびよるこいはくせもの まさかど)」。内容は平将門の娘である滝夜叉姫が妖術使いとなって登場します。平将門の怨霊的要素が、そうした像を生み出したのかも知れません。

実はこの歌舞伎の演目は丁度、10年位前に浅草の新春歌舞伎で上演された時に身に来ました。購入した筋書き(パンフレット)によると、この「忍夜恋曲者」は、天保7年(1868年)に初演された「世善知相馬旧殿(よにうとうそうまのふるごしょ)の中の大詰の舞踊劇で、通称「将門」と呼ばれているそうで、今から約170年近く前に作られたもの。設定は、打倒された平将門の娘滝夜叉姫は、味方の勇志を集めるために傾城に身を変え、相馬の古御所に隠れ住んでいる。実は滝夜叉姫は、蝦蟇の妖術使いで、ここへ妖怪が出るという噂を聞いた大宅太郎光圀がやってくるところから物語は始まり、一瞬場内が暗くなったかと思うとドロドロの音とともに煙りの中から滝夜叉姫は登場します。演じたのは中村七之助。後半、正体がバレて立ち廻り、屋台くずしとスペクタルな展開となり、蝦蟇とともに屋根の上に滝夜叉姫が現れ赤旗を翻すところは、絵になります。

(3)小説「陰陽師 滝夜叉姫」(夢枕獏)

夢枕獏の小説「陰陽師」に平将門の娘・滝夜叉姫をテーマにした小説があります。平将門は鋼の体を持ち、おまけに七人の影武者がいて見分けることができなかったといったような伝説があるのですが、それを将門の家来でその出自も不明な興世王が実は妖術使いで、身内の争いにおいて妻子を殺された将門の怒りと弱みにつけ込んで将門を人間ではあらざる人外(じんがい)の存在へと落とし入れてしまいます。家来であった興世王を妖術使に設定することで、なぜ将門が朝廷に反逆したかを夢枕獏は独創的に説明をしているのです。

“その有様殊に世の常ならず。身長は七尺に余りて、五体は悉く鉄(くろがね)なり。左の御眼に瞳二つあり。将門に相も変わらぬ人体同じく六人あり。されば何れを将門と見分けたる者は無かりけり。”

将門が人ではないと悟った側室の桔梗は、俵藤太に将門の弱点を告げるのですが、娘の瀧夜叉姫を残したまま興世王に殺されてしまいます。同じく反将門の側に立つ霊的な力を持っている僧・浄蔵が将門を調伏せしめるため大威徳明王法を修し、弓矢で決着が付くと予言。

将門は平貞盛と俵藤太によって討たれてしまうのですが、その際、俵藤太の持つ伝家の宝刀・黄金丸によって首を刈られます。この黄金丸、それによって切られた傷は20年ふさがらないという妖刀で、人外の存在となっている将門は首のみの存在になっても生き長らえています。そうしたところがさらし首になった将門の首が切断された体を求めて空を飛んだ伝説などと微妙にリンクしています。

極めつけは、小説では平貞盛に憑依した将門が20年後に復活しようとするのですが、その黒幕に将門が反乱を起こした同時期に西国でも反乱を起こした藤原純友が登場。比叡山にある将門石で純友と将門が会話し作中それを盛り込んでおります。実際は、それはあくまで伝説で将門と純友は交わったことはなかったようですが。しかし、夢枕漠はそうした各地に残る平将門の伝説を巧みに再構成し、途切れ途切れな伝説を逆に妖術という一本の串に通すことによって、わかりやすくしているのでした。

(4)大河ドラマ「風と雲と虹と」

1976年に放送されたNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」は、民衆のために立ち上がった加藤剛演じる平将門が描かれています。ちなみに同時期に反乱を起こした藤原純友は緒形拳、俵藤太は露口茂が演じています。ドラマが男気を感じさせる将門が面白く、レンタルdvdですべてを観ました。その中で悲しくも美しいのは吉永小百合が演じた貴子、創作上の人物ですが悲惨な人生に涙を抑えられませんでした。すごく印象に残った人物でした。ところで平将門は、朝廷からみれば逆賊の位置づけだからなのか、映画にせよテレビにせよ、彼が主人公になる時代劇はほとんどみることができません。残念ですね。

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