残念だなと思った「コズモポリス」

映画「コズモポリス」(2012年)
■監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
■出演:ロバート・パティンソン、ジュリエット・ピノシュ、サラ・ガドン、他
デイヴィッド・クローネンバーグ監督作品の「コズモポリス」は、若い金融取引の寵児が、経済格差がまん延し、デモが起こり、自身の取引も暴落していく様を、特に前半は、まるで若い主人公の秘密基地とみまがうようなリムジンの中で展開されます。
このリムジンには様々な人が訪れる。ボディーガードとのやり取りはもちろん、部下とのやりとり、愛人との情事などが、リムジン内でおこなわれ、医療の検診も排泄も可能な空間になっているが、肝心の資産家の娘であり美人の妻と合うのはリムジンではなく車の外であるということ、彼女とのセックスを希望するも、体よく断られてしまう始末。面白いというか、変なのが、この若い金融資産家がリムジンで移動しているのは散髪屋に行くという目的なのだ。前立腺が非対称と医者から告げられ、散髪も片側しかやらない。
この映画は、原作のドン・デリーロの小説のセリフをうまく生かした劇構成となっていると言われているも、字幕スパーを追うしかない私としては、そのもとの原作のセリフがどんなに素晴らしいのかが、あまりわからないのである。いや、この映画はリムジンを子宮に見立てているのだ、格差社会を象徴的に描いているのだという見方があるのかもしれないけれども。
クローネンバーグの映画はどちらかというと、ひいき目で見るほうなんだけど、私個人の感想としては、設定の妙とか、会話のやり取りが十分、おもしろさとして入ってこず、実に厳しい残念な映画だなと感じずにはいられないのでした。やっぱりクローネンバーグの映画は異常なまでに突き抜けてほしいのだ。