映像は時代の気分を投射してしまう映画「他人の顔」

映画「他人の顔」(1966年)

■製作年:1966年
■監督:勅使河原宏
■出演:仲代達矢、京マチ子、平幹二朗、岸田今日子、他

映画「他人の顔」を観ました。小説を事前に読んでいたわけですが、私は映画より小説の方が面白かった。映像はそのまま映し出してしまうため、テーマが実験的なものだけに、相当尖っていないと、時代性も反映されてしまい陳腐な印象が否めない。顔を包帯でぐるぐる巻きにしたミイラ男のような人物がでてくるため、無理な設定を説明するため、くどくど説明的な台詞も多い気がしました。

私が読んだ四冊の小説、つまり、安部公房の小説群なんですが、説明的な部分が多いなと感じていたので、映画のシナリオを安部公房が書いているので、そうした点が目についたのかなとも思いました。それが正直な印象です。

映画が公開された1966年当時は、斬新なイメージだったのでは?と想像しますが、さすがに50年以上も経っていると、映像では視覚情報がストレートに入って来てしまうので、安部公房が提示した、誰でもない他人の顔というものが、小説の読後感想の時に書いた、SNSの他者性、匿名性にまで、想像力を働かせることができず、逆にテーマの古さを感じてしまう結果となってしまった感は否めません。

やはり視覚情報というのは与えられる情報量が圧倒的に多いし、イメージを引っ張っていくので、映画というメディアを考えた場合、時代を経てもインパクトを残せるか、というのは微妙に時代性を感じさせてしまうので、選択したテーマや舞台設定によるなあ、と思わされのでした。もちろん映画を創っているときは50年後、観られるということは意識していないと思うのですが・・・。

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