難解でいいんだ、安部公房の「箱男」

安部公房「箱男」

安部公房の小説『箱男』は、難しかった!同じ安部公房を読んだ時、自分自身の読解力が落ちたのではないか?と不安になりましたが、この「箱男」はそれ以上の難解さ。ダンボール箱をかぶり、覗き窓から外を見つめて都市を彷徨う「箱男」という設定が、ある種、現実にそのようなことが、可能なのかと思う。ある意味、SF的ともいえないだろうか?

小説は箱男の手記のような形で進められる。主人公らしき男は元カメラマンで、社会からの帰属を捨て、匿名性を求めて箱男となる。医者の贋箱男や不思議な看護婦などが登場するも、プロットが分断されていて、各エピソードに連続性があるのか?同じ箱男が書いた話なのか?だんだんわからなくなってきます。小説自体がパズルか迷宮のようになっているのだ。なので読んでいると、あれっ?という感じになり、これは誰の話だ?とわからなくなる。

つまり、すこぶる実験的な小説なのである。こうした実験精神旺盛な小説は、読者にとって難解すぎると感じられることがあると思うし、私もその一人でした。断片的な構成や多層的な視点が、物語の流れを追うのを難しくし、混乱してしまうんですね。それはカンディンスキーのような抽象絵画を見たとき印象にも近い。実験的という意味では、安部公房が撮影した写真もあって、それも作品の一部となっていること。

これまで読んできた「他人の顔」「燃えつきた地図」も、自己と他者、自分という存在の危うさ、匿名性の存在を希求する登場人物は、現代の孤独感や疎外感を象徴しているのだろうなと思うし、箱男のダンボールに作った覗き窓から外の世界を見る、特に元モデルの看護婦の裸体を見るという行為は、唐突に割り込んでくる少年が女教師のトイレを覗こうとしてばれてしまい逆に見られると行為と対になっているのかなあ、とあれこれ考えてしまうわけだ。

しかし、安部公房は。小説にテーマを読もうとするのは無意味だという、安部公房はテーマも分からずに感覚的、直感的に「箱男」を書いていて、テーマがわかったのは、ずいぶん後のことだということを、「小説を生む発想」講演の中で発言していた。またとある雑誌で、小説は原稿用紙300枚くらいなのに、書きつぶした原稿はその10倍の3000枚というのを読んだ。難解いいんだ、パズルでいいんだ、感覚でいいんだ、というのが「箱男」への私の読後の結論。そうなると「箱男」がどこか魅力的に見えてくるから不思議だ。

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