地獄は闇の牢獄、天国は光の牢獄? デビルマンレディとダンテの「神曲」

永井豪「デビルマンレディ」

永井豪の漫画で、イタリアのダンテによる古典「神曲」に強く影響を受けた作品としてデビルマンのスピンオフの位置づけにある「デビルマンレディ」。ここには、まさにダンテの「神曲」の地獄篇にインスパイアされた場面が描かれています。

主人公のデビルマンレディ=不動ジュンは、異次元の地獄に迷い込んでいきます。ここで彼女は不動明(デビルマン)と出会い、まるでデビルマンは、ダンテの「神曲」のウェルギリウス役割の如く、地獄の案内人となります。不動明は本編においてアスカ=ルシファーとの戦いに敗れ、現世では肉体を持たぬ霊体として地獄を彷徨っています。地獄は別次元の世界として存在しているのです。

デビルマンレディの現世世界はパラレルワールドとして設定されており、デビルマンたちの戦いの歴史が消去された新たな世界として物語が展開されます。この設定により、独自の展開を見せる物語が再構築されているものの、構造が複雑化してわかりにくくなっているのも事実。パラレルワールドの設定は、永井豪自身が、おそらく、魔王ダンテ、デビルマンと描くことにより、その世界観をさらに深化させているようにも思われます。

彼は地獄で孤独に彷徨い、過去の戦いの記憶と向き合いながら、サタンと再会します。この孤独と絶望の中での彷徨は、暗く荒涼とした地獄の風景と共に描かれており、地獄篇の象徴的な描写を強調しています。不動明の旅は、彼が自身の過去と向き合い、再び立ち上がるための試練を描いたものです。また、「魔王ダンテ」に登場した宇津木涼が同名の別の人物として、「神曲」を書いたダンテの生まれ変わりとして登場し、魔王ダンテとして蘇り、様々な要素が結集していきます。

不動明の「地獄は闇の牢獄、天国は光の牢獄」という発言に見られるように、善悪の相対性、地獄と天国の相対性、神と悪魔の相対性、創造者としての神自身がグノーシス主義的視点でとらえられ、古代宇宙人説にも通じるような世界観となっていて、善と悪の境界の曖昧さが強調されています。

物語の終盤では、不動明=デビルマンと飛鳥了=ルシファーが協力して、神の軍団=ミカエル大天使と戦に向かう壮大な神話的なクライマックスを迎えます。永井豪は、ダンテの「神曲」の影響を受けながらも、ダンテ自身が厳格なキリスト教の世界観の中にギリシヤ的要素を巧みに取り入れ、さらに個人的な想い?で様々な人物を地獄堕ちさせたように、歴史により意識変化し、情報が当時と比べて格段に発達し、キリスト教的世界の捉え方もダンテの時代とは大きく変化している中で、永井豪の現代的な「神曲」を描いているとも言えると思うのでした。

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