「デビルマン」の元である「魔王ダンテ」は「神曲」の影響を受けていた
永井豪「魔王ダンテ」
永井豪の「魔王ダンテ」は1971年に発表された漫画。ということは私が10歳の時のこと。当時意味も分からず、魔王ダンテの造形に惹かれたのを記憶している。「ぼくらマガジン」の廃刊で未完に終わり、後に、「デビルマン」という名作に発展していく作品だ。
物語は高校生の宇津木涼が、悪夢にうなされ、氷に閉じ込められていた巨大な悪魔・魔王ダンテを復活させてしまう。涼はダンテに食べられてしまいますが、逆にダンテの心を乗っ取るという設定。漫画は悪魔に人の心が宿るというデビルマンの前身が描かれ、太古から続く神と悪魔の戦いのテーマもデビルマンそのもの。
永井豪は、子供のころ家にあったダンテの「神曲」に、内容はわからないものの、そこに描かれた「神曲」をテーマとしたギュスターヴ・ドレの絵に強く惹かれたといいます。後年、漫画家になり、ストーリー漫画を描くときに、ゴジラのような怪獣が暴れるのがいいのでは?
そこで人間を見ているゴジラの視点で描けばいい。怪獣と人間が合体すればいいんだと思いつき、子供の時に読んだ「神曲」を思い出し、魔王と人間の合体という話になったそうです。名前は「神曲」の作者ダンテを取って、魔王ダンテになったと語っています。氷づけになっている魔王ダンテの頭部にはユダが入っているのも「神曲」からの連想なんだと・・・。
ダンテの「神曲」がアイデアの源泉になり、永井豪が思いつきでやった設定は、神と悪魔と人間という、本人も気づかなかった深いテーマがり、それが「デビルマン」へと繋がっていきます。幼い私は永井豪の造形に惹かれただけで、実は深いテーマがあったなんてことは露知らず。
漫画は、神が宇宙から飛来した不定形のエネルギー体として描かれており、神は古代の地球に住む人々に攻撃しました。これに対して、悪魔たちは地球の元々の住人であり、神に対抗するために戦う。この善悪の概念を逆転させる発想はグノーシス主義を連想させる。
デニケンの「古代宇宙人説」に近いものがあるような気がします。この説は、古代の神々や超自然的な存在は、実は、宇宙から来た高度な文明の存在の名残であであり、人類に影響を与えたという考え方です。
永井豪は古代宇宙人説やグノーシス主義を知っていたかは、わかりませんが、「デビルマン」執筆時は「ヨハネの黙示録」を読んだことがなかったと語っているので、たぶん知らなかったのだろうと推測します。もしそうだとしたら永井豪という作家の創造力がすさまじい域になるなと思います。
このように、永井豪の作品には無意識の蓄積として、ダンテ・アリギエーリの「神曲」の影響が、流れているのです。なのでその世界観は神話的要素があり、それが魅力の一つと思うのです。